フィリップス空間とタイミング戦略

勝手に空間にしてしまったが、例の多次元の奴*1だ。物価や失業率を考える際に、必然的に視野に入ってくる各投資先について、いつでも我々はタイミングを計りたいと考えている。株式は安いときに買いたいし、債券は高いときに売りたい。そういう下心で動かされる値段は、いつも適当な水準を探っているわけだ。消費するのか投資するのか、つまり今日と明日とを比べる際に考えるのは、いつでも時間とリスクの値段だが、短期金利が介入によって押し下げられていると判断されるとき、つい借りて、リスクを負担したくなってしまう。中銀の配るチョコレートを、受け取りたくなってしまう。


ところが投資先は多様である。ここでの分類は大雑把で、また網羅的でもないが、それでもとても複雑だ。一体どんな行動が奏功するだろう。あまり細かなことを書いても読みにくいだけなので、今日は概念でズバッといきたい。「実際の投資は、どうしたらいいんでしょう」という雲を掴むような問いに、ベイジアンとしてのリターマンが取り組もうとした際に、ブラックが与えたのが均衡アプローチだ。要するに、まずは落ち着くところに落ち着いていると考える。どんな投資にカネを突っ込むにしても、現状では、追加的なリスクに対する追加的な見返りは大差ないだろうと思うわけだ。このとき現状は「市場ポートフォリオ」と呼ばれている。皆が考え、様々に取り組んでいる結果が、世界の全体というわけだ。コイツは、時に絶望的なほど強い。


W市場ポートフォリオ = W人への投資 + W株式投資 + W債券投資 + W不動産投資 + Wコモディティ投資


ときどき、例えば利潤がゼロだとか、やたらと極端な「均衡状態」のイメージが持ち出されたりもするが、ここで想定するのは、そうして現状は意識されつつも、皆がそれぞれに機を見る、よりダイナミックなそれである。そしてブラックとリターマンの帰結は、そこで市場ポートフォリオとの共分散で表現されるプレミアムを上回って、特定の投資先に見通しを持つなら買い増せ、市場ポートフォリオとの共分散で表現されるプレミアムに見通しが満たないと思われるなら、その投資先を売れというものだ。そう、ベータである。株式でないものにまでベータを持ち出されて、気持ちが悪いと感じられる方もいるかもしれないが、例えばオプションに対してベータを持ち出そうとしたブラックが、その値段にプレミアムは含まれないと誰よりも早く見抜いたことを思い出してほしい。あるいはモジリアニとミラーが高らかに宣言したのは、投資される形に、チャレンジは依存しないという事実だった。株式や債券によって、ビジネスのリスクは投資家に移転される。使っている不動産のリスクは、証券化によって投資家に移転される。倉庫に抱える在庫のリスクは、派生商品によって投資家に移転される。そういうことだ。


株式は相対的に強いと考える一方で、債券は相対的に弱いと考えるなら、株式を買い増し債券を売ろう。その分量として、市場ポートフォリオに対するベータ分の比をとれば、前向きには市場中立が実現する。そのとき要するに、株式を買う金額よりも、債券を売る金額はずっと大きいはずだ。面倒な細かい計算はしなくてもよいが、しっくりくる「ざっくり」を探そう。あまり流動的には取引されていない「人への投資」を考えるのはトリッキーだが、例えば会社員として自分自身のリスクを会社に売っている*2なら、残ったエクスポージャは主にボーナスに連動するそれだろう。もちろん自宅が購入か賃貸か*3も、忘れてはいけない。こうして自分の抱えるリスクを洗い出すことで、特に意図しないまま抱えている見通しを探し出すことも大切だ。