未だ見ぬ素敵を探るインセンティブ

いろんな方に怒られそうだが、僕は根っこのところで、「インセンティブ」を信用していない。ひとは結局のところ、自分が望むことしかできないと考えている。できないからといって、より強い「インセンティブ」が与えられれば、それは苦痛だし不幸だ。


家電屋のポイントカードは、嫌いなので全部捨てた。ポイント割引が多ければ、あるいは絶対使えという法律でもあれば、使うのかもしれない。が、不愉快だ。缶コーヒーのシールを集める自分のことは好きになれなかったし、飛行機だって、マイレージ分は最初から割り引けと思う。古かった冷蔵庫は、エコポイント制度が始まる前に壊れてしまい、買い換えざるを得なかった。消費税を段階的に上げる?冗談じゃない。家を買うタイミングを、人生のステージでなく政府の都合に合わせろというのか。笑われそうだが、俺の心を金で買えると思うな、と思う。そんな驕った制度が本当に素敵なものだとは、どうしても思えない。幸せはどこにあるのか。


成功報酬は、払う側も受ける側もそれを望むときに、発生するのだと思う。どちらの側もやったことがある。悪くないと思った。それは頑張るほど儲かるからでも、ビジネスのリスクを抑えられるからでもない。契約を結んだ相手も自分も、そのことで幸せになるからだ。もちろん両者の将来にとっても、それは素敵なことに違いない。互いを幸せにする、それまで気づかなかった枠組みもあるものだと、肌で感じた。そう思うと世界観まで変わった。もしかして、単に括り方の問題なのかもしれない。だから僕にとって「インセンティブ」システムを探ることは、皆が心の底で望むものは何か、という問いと正確に一致する。べらぼうに難しい問いだ。だってその多くは、未だ見えていない。


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