株価調整のメカニズム

あちこち大変なことになっているが、端的に言って楽観できないと感じているわけだが、とりあえず気を落ち着かせるために、株価の調整について書いてみたい。例によって、極端にシンプルな形から始めよう。

  • 来年には100円になって返ってくると期待される事業に、90円を突っ込む
  • 来年には51円にして返しますと言って、50円を借りてくる
  • 株式の形で40円を集める


こんなバランスだ。集められた90円は、典型的には例えば工場を建てたり人材を雇ったり、工夫してマネジメントすることで、お客さんに喜んでもらうことができたとき、結果として利益を生み出す。もちろん期待するところの100円は、確実に不確実で、さらに大きくなるかもしれないし、小さくなるかもしれない。


90円50円
40円


さて、100円の見積もりを下方修正せざるを得ないとき、あるいは割り引くところの不確実が大きくなるとき、90円を再評価する必要が出てくる。もちろん、自身の信用にも波及することになる。

  • 資産の評価は、80円に見直す
  • 51円を返す約束の借用証は、49円で転売された
  • 株式は31円まで下落した


80円49円
31円


なかなか厳しい。実際には、この資産と負債そして株式を繋ぐ構造は、幾層にも重なっている。生活者としての個人は年金へ突っ込み、年金は投信へ突っ込み、投信は株式へ突っ込み、株式は別の株式に突っ込み、時には国も通貨も跨いで、その一番先はアフリカの田舎の河川敷で、特に誰にも使われない、単につくっただけのブブゼラ工場が、砂まみれの風に吹かれていたりする。


サブプライム住宅ローンが膨らんだ際の問題のひとつは、最前線の借り手から伝言ゲームを繰り返すうち、その信用の姿が最終的な貸し手までクリアに伝わらないことにあった。いま我々の手元にある投信や株式から、長く継がれたストロー*1の先に繋がる資金の供給先が、クリアに見えているだろうか。それらは来年には、その先の未来には、いくら稼ぎ出すだろうか。自覚の有無にかかわらず、明日も明後日も僕らは、再評価を続ける。

*1:吸うと潰れたりする