アクティブ運用の値段

物やサービスをお客さんに売ったり、作業や能力を会社に売ったりしていると、あらゆる値段は結局のところ需要と供給に晒されているのだと、一部の例外(規制のことだが)に苛立ちながらも、感じざるを得ない機会は多いわけだが、とても市場に近い場所で売られているにもかかわらず、不思議な値段の決まり方をしている商品がある。投資信託だ。多くの投資信託を買ったり売ったりする値段は、投資信託が抱えている資産(と負債)を評価して「算出する」仕組みになっている。


我々がアクティブな投資信託に期待するのは、言うまでもなく未来に生み出されるアクティブな収益なわけだが、しかし算出された基準価額に、その期待は含まれていない。何を言っているのか、わかりにくいかもしれない。例えば株式の価格を想起すれば、投資信託の価格も、こんな姿であってほしいとは思われないだろうか。


投資信託の価格 = 現在の純資産 + Σ{将来のアクティブな収益/(1+割引率)}


右辺の第一項について評価したのが、投資信託の基準価額である。第二項は切り捨てられているわけだが、このことがおかしいとか、だから「べき」とか、そういう批判がしたいわけではない。実際のところ、他の保有者から投資信託の受益権を「譲り受ける」わけではなく、払い込んだ金は新たな純資産として、規模をすこしだけ拡大させて同じ運用を続けるわけで、投資対象が流動的であるほど(供給は近似的には無限大で)、特に無理のある仕組みとも言いにくい。


しかしながら現実には、じゃんじゃん供給して巨大化することで、身動きがとれなくなって第二項が潰れてしまう例もあれば、そのことを回避するために追加的な資金流入を制限する例もある。そうして徐々に無理に近づくに際して、売り抜けたいと考える「以前からの」投信保有者は、先に挙げたようなプレミアム価格で出口を伺えてもよいのではないかと、「含み益」を実現できてもよいのではないかと、一方で思うわけだ。「ほれ売ってやるよ、欲しいんだろ」と。「いくらで買うんだよ」と。


投資信託の価格 = 現在の純資産 + Σ{将来のアクティブな収益/(1+割引率)}


もう一度書いてみた。アクティブ投信を、将来に生み出す収益を織り込んだ価格で買う。馬鹿馬鹿しいと思われるだろうか。もちろん将来の収益が価格に織り込まれているからといって、その全部を諦めることにはならないのは、我々はリスクの分だけ割り引く。あるのかないのか、現時点ではよくわからない将来の収益は、要するにその期待よりも、すこしだけ安く取引される。実際に戦略が奏功し、期待されていた収益が実現するとき、その割り引かれていた分は、買ってリスクを負担した者の手に残るわけだ。


どうしても気にならざるを得ないのは、我々は将来のアクティブな収益を、どんなふうに割り引くだろうか。もちろん、まず他のリスクとの共分散を考える。そのアクティブな収益がTOPIXに似ているのなら、そんなものは分散投資の役に立たないので、安い価格でなければ買う気にならない。そのアクティブな収益がオリジナルなら、分散投資ポートフォリオの一員とするために、多少高くても買ってよいかもしれない。


こうして「独特な」アクティブ投信は背中を押されることになり、同時に市場ポートフォリオを構成する。「アルファ」など最初から存在しなかったのだ。