パススルー議決権行使

そもそも機関投資家なんてのは、生きている人間じゃない。機能を持った箱に過ぎない。そして株主としてのアクションが、その主たる機能でない場合は少なくない。


我々の経済が、何をつくり出していこうとするのか、そのためにどんな投資をするのか。決めていくのは当然のことながら、消費者としての我々と、資本家としての我々である。然るに毎日を消費するわけでもなく、また明日に何かを望むわけでもない機関投資家が、株主として強い存在感を発揮するのは、よく考えてみると非常に奇妙な話だ。


機関投資家が巨額を動かす背景には、その機能の向こう側に、カネを預けている無数の生きている人間がいる。投資のリスクを負担しているのは、第一に彼らである。保険や年金の運用が失敗するとき、そうした最終投資家の取り分が減るわけだ。これだけの額を扱うのに、機関投資家の担当者ごときが、損失の責任など取れるはずもない。


実際にリスクを負担する者が、株主としての権利を行使するのが、自然な姿なのではないか。そう考えると表題が頭に浮かんできた。個々の我々が、箱としての機関投資家を通り抜ける形で、それぞれに議決権を行使するために、技術的な困難は縮小する一方である。


オリンパス東京電力や、あれやこれやを思い出してほしい。大株主は誰だったか。連中は何を見逃してきたのか。執事らしく振る舞え*1なんてハリボテこそ、クローニー資本主義による保身である。日本マスタートラスト信託銀行が日本を支配していると主張する便所の落書きは、本質を突いている。


本物の資本主義を実現しようぜ。そのとき同時に、本物の民主主義が実現している。