銀行の長期債保有

なぜギリシャの人々がATMに行列しなければならないのか。専門家を自称する連中に尋ねてみたところで、どこかで聞いたような手続き的な話が延々と続くだけで、結局のところポイントはよくわからない。こういう状況が好きだ。えいと勇気を出して、大雑把にまとめたくなる。断言しよう。要するにギリシャの銀行が、ボンクラ政府に貸し込んでいたからだ。あるいはギリシャ政府は、銀行を利用していた。そして銀行が負担していた政府の信用リスクが顕在化し、預金者にまで溢れてしまった。


あるいは当然だと、嘯くニャンコ先生も少なくないかもしれない。そもそも財政危機と預金封鎖はセットだと。歴史の時間軸を左半分だけ眺めれば、おそらく指摘は正しい。しかし未来に向かって、同じことが言えるだろうか。断じてノーというのが、当ブログの今日の主張である。我々のカネを預かる銀行は、政府の信用リスクを、さまざまなリスクを、事前に回避することができる。具体的な手段で言えば、長期債を売って短期債を買うことができる。あるいは例えばスワップで、似たような効果を得ることができる。このときギリシャの銀行は、財政危機に対して、あるいは他のリスクに対して、現状よりも相対的には強い。


もちろんリスクの話は、振り返れば常に結果論だ。財政危機が顕在化しなければ、長い債券には相対的に高い収益を期待することができた。とはいえ預金者は*1、そうしたリスク負担を事前には選んでいなかった。何が言いたいか、伝わってきただろうか。株でも不動産でも、あるいは融資でさえ、おそらく同じことだが、すべての預金者がリスク負担を望んでいるわけではない。低利でも安全が望ましいと考える者にとって、紙幣の形で「貸し」を取り出すために行列させられるのは、単に迷惑な話だ。未来に向かって、選択肢を提供することから、リスクは「望む者が負担する」構造から、我々は逃げられないだろう。言うまでもないことだが、我が国の(中央)銀行と金融システムにも読み替えていただいて差支えない。

*1:実際には株主さえ