紙幣を負債と経理する心

下の図を見ていただきたい。明日の生活費を賄うだけの金しか持っておらず、家計は苦しい状況に置かれている中で、日銀は(ほとんどタダみたいなコストで)紙幣を印刷することによって、純資産を生み出すことが可能だと思おう。

    日 銀         家 計
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日銀券|純資産 日銀券|生活費


もちろん政府日銀が家計と異なるのは、こうして紙幣を印刷する特権を持つことだ。そして社会がマイルドに成長するためには、その量を上手に制御する必要がある。御存知のように、現在は物価は下落傾向にあり、生活は苦しい。日銀は紙幣を印刷すべきだ。そして家計に配ることで、余裕が消費へと回るかもしれない。えい。

    日 銀         家 計
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日銀券|純資産 日銀券|生活費
日銀券|純資産


気をつけなければならないのは、よく考えるまでもなく明らかなように、この例では、我々の明日の生活はさほど変わらないにもかかわらず、社会の生産力がさほど変わらないにもかかわらず、純資産だけが激増する。全体として、このようなハッピーが起き得るだろうか。否。生活物価が高騰することによって、日銀券の購買力は調整されてしまうだろう。打ち出の小槌は存在しない。

    日 銀         家 計
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日銀券|純資産 日銀券|生活費
              日銀券|純資産


こうしてヘリコプターが日銀券を運ぶ一連のアクションの中で、実は不便なのは家計だ。最初は一瞬、純資産が増えて嬉しい気がするのだが、冷静に日銀券と社会の生産力について評価するとき、その嬉しさは幻であったことが判明する。生活費が膨らむのだ。皆が「適正な」物価の水準を探るプロセスを先回りして、さっさと例えばゴールドに換えてしまった情報強者は得をするかもしれないが、喜びに浸っていた「のほほん」は、購買力を失った日銀券を手に、その分すら苦しむことになる。


下の図を見ていただきたい。日銀券は日銀にとって、あるいは保有する家計にとって、単なる借用証に過ぎず、それらを発行した分の資産は見合いとして、国債等の形で保全しておく必要があると思う。

    日 銀         家 計
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国債等|日銀券 日銀券|生活費


日銀券を印刷して、ヘリコプターで家計に届ければ、当然のことながら見合いの資産を持つことができず、日銀は債務超過に陥ることになる。ここでは家計に生まれる純資産は、そのまま日銀の純負債を生む。その財務の悪化は、借用証としての日銀券の信用毀損に呼応する形で、(円で表現される)物価の高騰を招かざるを得ない。

    日 銀         家 計
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国債等|日銀券 日銀券|生活費
純負債|日銀券 日銀券|純資産


この枠組みが便利なのは、社会の生産力や紙幣の発行枚数のような、数えるのが面倒なアイテムを探らずとも、等価な情報が日銀の純負債として表現される点にある。白川総裁が「人類の英知」と称した発明のひとつだ。この地動説には、他にもさまざまな面白い角度があったり、あるいは新たな想像をかきたてるが、それらはまた。


二つの見方について、どちらも納得して読んでいただける方は、とても少ないだろうだと思う。当然だ。少なくとも150年以上も続いている論争*1について、こんな小さな記事で皆の認識を動かせると考えるほど、僕は楽観的でない。どなたかひとりくらい膝を打っていただけるなら、もうすこし考えてみようと思っていただけるなら、今日はそれで幸せだ。

*1:id:equilibrista:20110105:p1