後悔するような投資や消費

「バブルとは何か」について議論するという酔狂な会に参加するに際して、自分なりの見解を持つべく考えた結果、馬鹿みたいだが、表題のようなものになった。後になって「あんなことしなけりゃよかった」と、時点が変われば、判断が変わってしまうような行動を誘発する状況を、そう呼ぼうと。


実は昨日は飲み過ぎてしまい、正直に言えば二日酔い気味でつらいわけだが、どちらかといえば飲酒マネジメントには失敗したわけだが、一線の方々と真剣に斬り合うチャレンジに伴った酒について、決して後悔はしていない。次回も、同じように準備し臨むだろう。一方で思い返せば、つい周囲に乗せられてしまい飲まなくていい酒を飲み、翌日を無駄にしたと感じたり、あるいは無用な(例えば男女の)トラブルに巻き込まれた経験は、誰もが持っているはずだ。もう二度としないなんて、言えないよ絶対。


もちろん、両者の境目は常に定かでない。「ちょっとだけ後悔」はいつだって、むしろ新たな別の(例えば男女の)チャンスを紡いだりもするが、そんな話はどうでもいい。例えば「長崎オランダ村は、つくらない方がマシだったか」という問いは、39,000円の日経平均株価が、あるいは1%の長期金利が、「ファンダメンタルズから乖離」しているかを問うよりも、ずっとマシだと考えたわけだ。誰に聞いても「わからない」問いよりも、相手によって答えが変わる問いの方が、常に沢山の示唆を与えてくれる。


いつもの話だが、そして普通に金を借りるよりも、支払う利息が押し潰されていると感じるとき、そいつを使って遊ぼうだとか、投機しちゃおうかなとか、つい調子に乗りがちだという方向に持論は展開するわけだが、つまり資金調達側に問題を見出すわけだが、例えば「バランスシート不況」なる単語は、そうした後悔は先に立たない「信用創造」を端的に表現しているように僕には思われた。借金は決して悪じゃないが、僕らは後悔に苦しめられてきた。いまも世界は苦しんでいる。