「日本復興」

この言葉を、あちこちの見出しに躍らせたい。もちろん、そんなものは時間の問題で、いずれ東北の太平洋岸をひとつの中心として、僕らは新しい世界をつくり上げるプロセスに突入する。いや、既に突入している。そのとき報道が、最高にエキサイティングな現場をピックアップしないなんてことが、出来ようはずもない。一般に、物事は徐々にしか変化しないと、僕は考えている。ブラックは、実質金利はコンスタントだと言った。ただ僕らは先週、自然の力によって、いつもより大きなチャレンジに立ち向かわざるを得なくなった。変化を強要されてしまったのだ。これは、とてもポジティブなことだと思う。なぜなら前に進む力を、僕らは持っている。


新しい東日本は、何をつくり出すのだろう。それは、僕ら自身が未来に何を望むのかについて、想像することと同じだ。どんなふうに街はつくられるだろう。どんなふうに工場や輸送はデザインされ、何がつくられ、そして送り出されるだろう。複数の地域は、互いにどんなふうに分業するだろう。どんなふうにそのとき、電力は張り巡らされるだろう。そこで、どんなふうに僕らは生活を送るだろう。


そんなふうに前を見ることのできない連中が、株式市場で狼狽している。おそらくチャレンジとすら感じられていない。ただ目を瞑って、ビビって、しゃがみ込んでいるのだ。冷たい言い方をすれば、チャレンジに向き合えないチキンは残念ながら、リスク市場ではカモだ。あらゆる生産がそうであるように、あらゆるリスク負担だって、互いに切磋琢磨することで、あたらしい世界をつくり出す舵取りの腕を磨く。買い手は、寄付してるわけじゃない。そのチャレンジが負担に値しないと見切れば、さっさとリスクを引き上げ、その分は別に振り向ける。そうやって世界をつくる金を出し、また世界をデザインする舵取りをすること*1が、より強く求められているのだ。念のため、言い換えよう。僕ら投資家は、つまり利益を生み出す大きなチャンスを迎えている。


インターネットで雑文を垂れ流して、この数日ほど手触りを感じたのは初めてだが、ひとつだけ確信していることがある。僕らは既に勝利している。道をつくり、歩み出すことに、こんなにも多くの最高の連中が、既にコミットしている。今ここまで読んでいただいている、あなたのことだ。ヘイメディア、早くシリーズ「日本復興」始めようぜ。株式市場じゃ、既に始まってる。