外国債券に投資しない理由を探せ

かえるさんのところで、外国債券への投資について、疑問が呈されていたので、ファイナルアンサーを試みたい。もしかすると、この表現はとても古いのかもしれない。


国債券があってもいい人、なくてもいい人 - かえるの気長な生活日記。
http://kaeru.orio.jp/blog/2010/01/gaisai_1.html
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まず「外国債券への投資」を考えるとき、付随する為替リスクについて思い描くイメージ*1は、ひとによって異なるかもしれない。例えば米国債への投資に際しては、円の投資家にとって、為替リスクのヘッジ如何で、下記のようにリスクが異なることに注意したい。


[為替ヘッジした]米国債投資 = 日本円の金利 + 米国債のリスクプレミアム
[為替ヘッジなし]米国債投資 = 米ドルの金利 + 米国債のリスクプレミアム + 米ドル/円の為替


参考のために、例えば米国株への投資についても整理しておこう。


[為替ヘッジした]米国株投資 = 日本円の金利 + 米国株のリスクプレミアム
[為替ヘッジなし]米国株投資 = 米ドルの金利 + 米国株のリスクプレミアム + 米ドル/円の為替


もちろん国内資産への投資は、こんな感じだ。


国内株投資 = 日本円の金利 + 国内株のリスクプレミアム
国内債投資 = 日本円の金利 + 国内債のリスクプレミアム


さて、役者は揃った。土台の部分は、基本的には円の金利で、ドルの金利を選べば、もれなく為替のリスクがついてくる構造だ。これに上乗せされるのは、ここでは株式か債券のリスクプレミアムで、それらは国内にも外国にも存在している。これらをいつでもバラバラに取引することが可能なのだから、金融テクノロジーってのは素敵だ。もちろん、それぞれに(金額あたり)リスクの大小はある。大雑把には、こんな感じだと把握したい。


株式 > 為替 > 債券 >> 金利


ポートフォリオを考えようとする際には、リスク資産の互いの相関を気にしたりすると思うのだが、このときにバックミラーばかり見過ぎないように気をつけたい。今回はあまり深入りしないが、経済のサイクルによって、リスク資産の振る舞いは変わるものだ。例えば20年近くもの間、金利も株価も、大きく見れば下がり続けてきた日本のケースを将来を見る眼鏡にしようというのは、すこしばかり乱暴だという主張には、同意してもらえるに違いない。諸外国だって、例えば過去5年を見れば、皆一様にバブルと崩壊だったわけで、要するに"へ"の字型の眼鏡になってしまう。それから、物事を眺めるレイヤーの話でもあるのだが、共通するコンポーネントを持つリスク資産の相関が互いに高いのは当然だ。為替ヘッジしない米国株と、為替ヘッジしない米国債の相関は高いが、それはつまり、単にどちらも同じ為替のリスクを含んでいることに起因している。


要するに、物事は大きく見つめよう。この文脈で把握しておくべき事柄なんて、実はこのくらいだ。未来のことは、ほとんど誰にもわからない。

  • 同じ国の株式と債券は、ほんの少しだけ似ている
  • ある国の株式と別の国の株式は、割と似ている
  • ある国の債券と別の国の債券は、割と似ている
  • 為替は、株式や債券とは、あまり似ていない

で、こんなふうに感じながら、それぞれの役者の分量を考えるわけだ。そのとき、外国債のリスクプレミアムを、自分のポートフォリオに含めない理由を見つけられるだろうか?僕にはあまり見つからなかった。まったく同じリスクでないとき、相関が1よりも、ほんの少しでも小さいとき、それらを組み合わせることによって、リスクは低減する。世界中の皆が、そう考え工夫してつくったポートフォリオの合計が、世界の全体なのだ。そこに大きなマーケットが存在しているのなら、誰かが投資する意義を見出している証拠だ。もちろん、盲目的に真似する必要はないが、一方で、まるっきり排除してしまう理由だって、やはり見つかりにくい。


ひとつだけ、役者の数を増やしたくないケースは、あるのかもしれない。そのことで舞台の混乱を避けるとか、統率のコストを下げるとか、そういった効果が出てくる場合もあるだろう。僕にはそのことは、開拓のチャンスにも見える。便利な道具を整備することで、舞台が変わる可能性を残しているようにも感じられるのだ。そんな仕事をしていきたいと、常々考えている。

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