デフレが悪であるための条件とは
そもそもなぜ「デフレを止めよ」などと、声高に叫んでいる方々がいるのか。物価が下がって一体何が悪いというのか、物が安く買えて素敵なことじゃないか。そう思っている方々も多いのではと推測するのだが、実際のところ僕もそのひとりだ。もちろん、景気の悪い状況が続くことが素敵だなどと主張するつもりはない。デフレという単語を、そのように広い意味で使う流儀もあるようだが、ここでは狭義の物価下落とインフレ待望論について、簡潔にまとめてみたい。
実質金利が高止まりする弊害
さて、まず平易な日本語で結論から書いておくと、物価が下落していることを理由に、消費や投資が先送りされることがあるとすれば、それはよろしくない。本来消費したいのに、「物価が下落しているから」もうちょっと待ってみようとか、資金を調達して商売したいのに、「物価が下落しているから」もうちょっと待ってみようとか、「外の力で」そういった支出にブレーキをかけられているとすれば、それがよろしいはずもない。
もうちょっと細かく見ていこう。よくよく考えてみると、どうしても金利の話は避けられない。なぜなら我々が100円を持っているとき、いま使い切ってしまうのか、それとも明日まで貯金しておいて利息を手にしたいのか、常に比較して考えるからだ。今日の100円が物を買う力は、明日までに、金利から物価の変化を割り引いた分だけ増える。金利が10%で物価の上昇が5%なら、100円を明日まで貯金すれば110円になるが、今日100円だったパンは明日105円になる。そういうことだ。
既にお気づきの方も多いと思うが、問題は現在の金利がゼロだという点にある。金利はマイナスになることはできない。札は金庫へ入れておくことができるからだ。このとき物価が下落すると何が起きるか。今日の100円を貯金しておいても明日も100円だが、一方で今日100円だったパンは、明日95円になっている。そう、明日の方がトクに見えるのだ。だから今日パンを買うのを我慢する。これがデフレが悪であるための条件である。名目金利がゼロに張り付いているとき、実質金利はデフレの分だけ、強制的に引き上げられてしまう。実質金利が、本来あるべき水準よりも高く固定されてしまうとき、消費や投資はブレーキを引き摺った状態になってしまう。
1930年代の大恐慌と現状の比較
今回の金融危機とよく引き合いに出されるのが、1930年代の大恐慌だ。これを実際に体感された方は、既にかなりのご高齢だと思うのだが、このときは物価が年間で何割も下がったと記録されている。一方で、最近の日本の物価の下落は、年間で高々数パーセントだ。言い換えよう。金利がゼロのとき、1930年代の大恐慌では、何割も実質金利がある状態だった。最近の日本では、年間で高々数パーセントの実質金利だ。
ところで、ご記憶だと思うが、つい先日までガソリン価格は大変なことになっていた。スタンドで給油するたび、クルクルと回るメーターを見て、皆が溜め息をついていた。しかし最近は原油価格の下落によって、元の値段近くまで戻ってきた。そして止まった。いやむしろ、再びちょっと上がっている。統計に表れる「最近の」デフレに占める、この原油下落の割合は決して小さくない。あなたは「ガソリンが下がりそうだ」と、今でも思っているだろうか?そのことを理由に、消費や投資を控えようと作戦を練っているだろうか?
別の角度からいこう。銀行にお金を出し入れしても、リスク資産へ投資しても、小さな我々は、とにかくあちこちで手数料を要求される。その水準は、時には数パーセントにもなる。必ず支払う必要のある手数料は、我々にとって負の金利みたいなものだが、だとすれば実質金利の高止まりは、「実質的には」より軽いものだ*1とは思われないだろうか?
「景気対策」と我々のアクション
商売のための資金の借り手になったことのある方は、あまり多くないかもしれない。今晩訪れる飲み屋のカウンターで、融資の話について質問してみてはどうだろう。お住まいの自治体や、中小企業庁のウェブサイトを覗いてみるのもよい。景気対策として行われている一連の制度融資は、なかなか素敵だ。利子を補助してくれたり、保証料を補助してくれたりする。本来高い利息を要求されるべきリスクの大きな(潰れるかもしれない)商売への融資も、こうした「景気対策」によって、広義の金利は大幅に引き下げられている。そう、実質金利の「高止まり」感は、ここでもとても低い。
それでも頭の体操のために、または次に来たるべき大恐慌に向けて、名目金利がゼロ制約に張り付いているとき、我々はどんなアクションを取り得るのだろうか?申し訳ないのだが、僕にはわからない。ブラックもわからない*2と言う。実質金利が、需要と供給の一致する水準から大きく引き離されてしまうとき、何が起きるのか、我々はどうすべきなのか、とても難しい。ただ、実は僕は、あまり悲観していない。金利というのは我々の全体の機会費用のことだ。それがゼロであり続けること、つまり我々が総じて後退を続けるような状況を、到底想像できないからだ。周囲を見渡してみれば、前向きで、生産的で、工夫して素敵なものをつくりだす最高のひとは、地上に溢れているじゃないか。
*1:http://www.riksbank.com/templates/Page.aspx?id=32736
*2: Business Cycles and Equilibrium