お金とは何か

中央銀行の発行する借用書だと言うと、そんなものは会計のルールに無理矢理当てはめただけだとか、そういうことを主張するひとが出てくる。が、「打ち出の小槌は存在しない」という宇宙の真理を内包するバランスシートの概念は、誰が見ても天高く突き抜けた存在ではないか。少なくとも、「皆がそれをお金と思うからだ」などという脆弱な理論を支える根拠は、絵柄の刷られた紙切れを人類がお金として使ってみた短い歴史くらいのものだ。そして、その間は失敗ばかり。


大事なことなので二度言おう。お金とは、中央銀行の発行する借用書だ。でなければ、労働の対価としてお金を受け取ることは、我々にとって合理的でない。なので例えば、ぶっちゃけた話、トヨタの発行する借用書でも、お金に要求される機能の少なくない部分は代替可能だ。物々交換よりは、ずっとまし。日産の発行する株券でもいい。実際に、給料の一部を株式やオプションで支払う会社は存在している。


そう思うと、乱暴にでもイメージを掴みたいとき、日銀は会社型投信だと思うのは一興かもしれない。お金に余計なリスクを負わせないため、通常彼らが買っているのは国債だ。日銀がトヨタ社債を買いまくるとき、我々のお札は、社債ファンドの証券のようなものになるし、日銀が資産をすべてETFで持つとき、我々のお札は、小口化されたETFのようなものだ。これはこれで、世の中それなりに回りそうな気もしないこともないが、しかしリスクをとらないという選択肢を減らしてしまうのが難点だ。


このとき、日銀が札を刷って国債を買えなどと誰かが主張しても、その会社型投信を保有したい者がいなければ、もちろん機能しない。実は、このことに対応する現実はたしかに存在していて、これ以上札を保有したい者がいないときにいくら刷って配っても、それらは銀行経由で返ってきてしまう。結果として、単に当座預金が膨らむだけだ。そう、バランスシートの宇宙は、いつも天高く突き抜けている。