インフレ目標不要論

ここのところ市場が面白くて、つい情報をサーフィンする日々を送ってしまったが、そろそろ決定会合に向けて何か書いておこうと、あけましておめでとうございます。一部で熱狂的に続投が期待される白川総裁は、消費者物価上昇率が2%以下のプラスの領域を物価の安定とし、当面は1%程度を目途と表現しているわけだが、その言い方を多少ドラマティックに変えてみたところで、我々の日常的な取引は変わりようがないという話でもある。


実質金利 + 予想インフレ率 = 名目金利


揺るぎようのない土台に立ち戻ることは、いつでもチャレンジには大切だが、明日まで預金する金利は、物価の変動に影響される。今日買えば100円のパンが、明日には105円になってしまうことが予想されるとき、明日返ってくる100円には少なくとも5円を、そして更に待つことの対価を上乗せしたくなるのは自然だ。借り手の立場から見れば、今日仕入れた小麦粉で明日にパンを売るとき、黙っていても上昇するだろう価格分以上には、より多く返済する必要があるわけだ。方程式を右から読むと、名目の金利には、予想されるインフレ率に上乗せして、実質の金利が要求される。


金を借りて商売しようという者にとって、金利は低い方が楽なので、名目の金利に中銀が介入することを金融緩和と呼ぶ。借り手にとっての緩和は、預金者にとって引き締めであることは自明だが、ポジティブな方にのみ光を当てるのはオトナのマナーだ。そして現在は、さまざまな理由で名目の金利はゼロに近い。これ以上は介入できない限界にあるわけだが、予想インフレ率を引き上げることで実質の金利を押し下げたいと、更なる介入の余地を探りたいと、一部の経済学者は考えている。そんなもの要らないという話を、いくつかの場合に分けて、具体的に考えてみよう。

物価が急に下落しているとき

1930年代には、物価が年に何割も下落する、いわゆるデフレーションが各地で起きたそうだが、これは厳しい。昨日仕入れたモノの値段が、明日に売るまでの間に劇的に下がってしまえば、名目の金利がゼロでも、結果的に高い利息を要求された状況と同じだ。もちろん、それほど急に物価が下落するのは、いわゆる投げ売りのパニックである。予想インフレ率もへったくれも、そもそも消費者が怯えている中で、金を借りて商売どころの騒ぎではない。こんなとき落ち着けと、安心しろと、頑張るのは政府と中銀の、また少し別の役割であって、インフレ目標だとか量的ナンチャラとか、そうした技術論とは次元が違う。

物価が安定しているとき

投げ売りでない、イオンやユニクロが展開するような冷静な値下げは、そうしたデフレーションとは次元が違う。彼らだって金を借りて、ゼロ以上の名目の金利を払うわけで、仕入れたモノを安く売ろうにも、自ずから限界がある。安売り大好きな我々が、そうしたバーゲンを予想するとき、ゼロの名目の金利は、プラスの実質の金利を意味するわけだが、その大きさは我々が愛する値下げ分である。商売を営む者が、現場で働く者が、頑張って削った値下げ分である。努力が実現させる実質の金利を、更に介入によって引き下げなければならない理由は、少なくとも自明ではない。

物価が急に上昇しているとき

新興国ではしばしば見られるが、年に何割も物価が上昇する、いわゆるインフレーションは、これもまた厳しい。こちらは要するに、何が起きるかわからない、現在の政府も中銀も、いまひとつ信用できるのかよくわからず、自衛的に物価を上げ続けざるを得ない状況だ。先の方程式に戻れば、インフレ率の予想は容易でなく、名目の金利天下りで決められた水準に従う他なければ、結果的には借り手がひどく得に見えることもある。後悔を予感するような投資もじゃんじゃん実行されれば、バブルやら停滞やら危機やら、イベントてんこ盛りのドタバタ生活だ。落ち着かせてくれよ。


と、ここまで読んでいただいて、なんとなく今日のポイントは伝わったかもしれない。要するに物価の安定とは、我々にとって大切なことは、落ち着いてインフレ率が予想できることであって、年率何%だとか、そうした数値は結果に過ぎない。落ち着いてインフレ率が予想できない困った状況なら、取るべきアクションは、落ち着くために必要な策を整理し実行することであって、金利の誘導だとか時間軸が云々だとか、そうしたセコい話とは次元が違う。中銀が宣言するインフレ目標の水準が、ゼロだろうが2%だろうが、結果に大差もなければ、それを掲げるだけで大きな弊害が生まれるとも思わないが、何が馬鹿馬鹿しいかを整理するのは大切なことだ。そんな宣言で日本が復活するなら、今ごろ世界中お祭り騒ぎでもよさそうだが、少なくとも先進国は、ちっとも復活していない。