無利子で債務を発行できるという特権を有している唯一の組織
昨日の日銀白川総裁の講演が、実にシビれる。
きさらぎ会における白川総裁講演「最近の金融経済情勢と金融政策運営」:日本銀行
http://www.boj.or.jp/type/press/koen07/ko0911c.htm
物価下落の影響を心配する立場からは、緩やかとはいえ物価が下落を続けることによって、支出が繰り延べられ、これが更に物価の下落を加速することがないかどうかが論点となります。
とても簡潔な「デフレスパイラル」の説明だが、「支出が繰り延べられ」と挟んでいるところが、実に素晴らしい。まさにポイントは、ここにある。狭義のインフレ待望論は、名目金利のゼロ制約によって、実質金利が高止まりすることを懸念するものだが、それは「待っていれば値段が下がるから」消費や投資を控える行動に表現されるだろうという指摘だ。で、実際にそれは起きているのだろうか。
1930年代の世界経済では、2000年代初頭の日本と異なり、累積で20%以上、国によっては、30%以上の激しい物価下落が生じました。また、1930年代には、相次ぐ銀行破綻に対して有効な対策が打てず、金融システムが極めて不安定化し、このため、資金の手当てがつかなくなった企業が自社の製品を投げ売りするといった事態が発生しました。
よく引き合いに出される大恐慌は、数字の桁が違う。馬鹿みたいに高かったガソリン価格が元に戻ったり、安くて素敵なユニクロが大躍進したりする状況下で、あなたは「支出を繰り延べ」ているだろうか?少なくとも僕は、普通にクルマに乗るし、服も買う。
急性症状の解消とともに、今後、各国の金融環境が一段と安定してくれば、中央銀行に対する資金需要も落ち着いてくると思われます。その場合、結果的に、中央銀行による資金供給量が減少していく可能性があります。
中央銀行だけが金を貸す状況を、彼は「急性症状」と表現する。世界の中央銀行は、結果的に、素晴らしいタイミングでバランスシートを拡大し、皆が助かるとともに、中央銀行自身も、その行動によって利益を生み出した。だったら、より健全な世界なら、中央銀行でない民間の他の誰かでも、そのとき貸し出せば、皆を助け、また利益を生んだはずだ。実際に、ゴールドマンはクレジットへの投資で巨大な利益を生み出した。
僕は以前から、大きな中央銀行など不要だと主張している。白川総裁は、その立場から口にこそ出さないが、同じように感じているのではないか。そう思うと、結びの言葉は、この現在の金利のない世界に、より高らかに響いて聴こえる。
しかし、同時に、中央銀行は無利子で債務を発行できるという特権を有している唯一の組織であるからこそ、必要がなくなった後も市場に介入する異例の措置を続ける弊害も大きくなります。
「中央銀行とは何か」という、とても一般にはわかりにくい問いに、シビれる簡潔さで彼は答える。そう、中央銀行は、僕らの財布に入っている無利子の債券を発行している。それが自覚的か否かにかかわらず、僕らの財布がギブアップしている利子を使って、彼らは市場に「介入」しているのだ。その馬鹿さ加減を、彼はしっかりと自覚している。
ただ、バブル発生の原因を考えると、結局のところ、良好な金融経済環境のもとでの強気の期待や、リスクに対する自己規律の低下といった、人間の本性にまで遡ることになります。このこと自体、中央銀行が、こうした形にしにくい問題とどう向き合っていくのかという、難しい論点を提起しています。
僕らの財布から勝手に利子を取り出して、中央銀行が代表選手として、「人間の本性」と戦う?馬鹿馬鹿しいにも程がある。この一年間の戦いは、結果的に日銀の勝利に終わった。しかし、その前には長らく負け続けていたじゃないか。ほとんどあらゆる英知を結集したところで、歴史を鑑みれば、勝ち目は常に半分だ。投資家は、自分の金で戦う。ヘッジファンドは、合意を得た客の金で戦う。中央銀行は、誰の金で戦っているのか?
根っこのところで間違っている。僕は、バブルや危機を生んだ真犯人は、かつての中央銀行自身だったと信じている。人間の本性と戦えるのは、人間の本性しかない。それは、需要と供給で決まる金利だ。日銀は、世界に先駆けて、限りなく消極的であれ。