生命保険は「自分が死ぬ方に賭ける博打」か

equilibrista2009-08-18

生命保険のような複雑な商品を肌感覚で理解するためのきっかけとして、博打のような身近でシンプルな例と重ね合わせてみる方法はとても有効ですが、両者には異なる趣もあります。そのあたりを今日は明らかにしてみたい。キーワードは、「効用」と「リスクプレミアム」です。


さて、まずは単純な生命保険を考えてみましょう。これから一年の間に1/1000の確率で死んでしまうと考えられているとき、保険金額1000万円で契約するためには、1万円の保険料を支払います。こうすれば、過去の統計と同じように保険契約者1000人に1人が亡くなるとき、保険会社の収支はトントンのはずです。簡単のために、保険会社の手数料は、どこかで別に支払うと考えておいて下さい。一般には年齢や性別等によって死亡率は異なると考えられるわけですが、実際の統計としては、例えば厚生労働省が作成している生命表*1などがあります。


この契約に関して、一年の間に起き得る事象はふたつ、いずれにせよ最初に1万円を支払って、死んで1000万円を受け取るか、死なずに何も受け取らないか、どちらかです。手数料を除けば、金額の期待値はゼロ。平均的には損も得もありません。


1/1000 x (1000万円-1万円) + 999/1000 x -1万円 = 0


「平均的に」損も得もないといっても、それぞれの事象で嬉しさは全然違います。自分が死んだときには、家族は悲しみに包まれ、またその後の生活に不安を覚えているでしょうが、そのとき同時に、1000万円が支払われるという嬉しい事象が起きる。「同時に」というところがポイント。このとき、死ななくて一万円を払い損な「悲しさ」との嬉悲*2の合計は、宝くじや博打でのそれと比べて相対的に大きいはずです。それなら少しくらい、1000円だとか、保険会社に手数料を支払っても悪くないでしょう。彼らだって商売ですから。


この嬉悲の合計を、「効用」といいます。効用は属人的なもので、同じ事象であっても立場によって違う。具体的には、自分が死んだとき家族は悲しいですが、保険会社にとっては、いずれにせよ契約者の誰かが亡くなるだろう中のひとりですから、特段大きな悲しみではない。したがって、契約当事者である自分と保険会社の効用の合計は、ゼロよりも大きい。金額の平均に損も得もなくてゼロサムゲームでも、効用の平均はプラスという生命保険のマジックは、ここにあります。多くのひとが実際に生命保険に加入している理由です。起きていることは割と正しい。ウィンウィン。


話の大方はこれで終わり。以降はマニア向けの、不担保条件とリスクプレミアムに関するトピックを。


実際には保険会社は、上記金額の期待値を計算するための死亡率に、安全マージンと称してリスクプレミアムを上乗せしています。個々の生死にかかるリスクは、透明な情報開示の下で適正に取引されれば、基本的には市場と相関の低い「分散可能な」リスクですから、CAPMによれば、そのプレミアムはゼロに近づいてよいはずです。とはいえ実際には、公共性のあるビジネスだという理由で参入障壁は高く設定され、市場原理はあまり強く働かず、リスクを負担する側の保険会社が潜在的に得をする契約になっているのです。もちろんその分、契約者が保険会社を選別するためのコストは下がっています。


繰り返しますが、自分が死んだところで明日からも地球は特に変わることなく、滞りなく回っていきます。生命保険のリスクプレミアムが本来ゼロに近いだろうと考えられるのは、そのようにして自分の生死と世界全体との相関は小さいからです。ところが稀に、世界全体との相関は変化し、大きくなる場合があります。例えば戦争が起きて、たくさんの方がいっぺんに亡くなるときです。このような状況では、他の多くのリスクは同時に顕在化され、我々は生産力を大きく失います。ですから、生命保険の契約書をよく読むと、「戦争等による死亡の場合には保険金を支払わない」などと多くのケースでは書いてあります。


「リスク資産の相関がいっぺんに高くなる」という、最近もどこかで聞いたような状況を引き起こすだろう事例を列挙し、そのときは担保しませんよと、あらかじめ宣言しているわけです。おそるべし生命保険。「100年に一度の金融危機」は、その中には含まれていませんでしたがね。