ソーシャルデリバティブズ

15日の夕方に行われた、慎泰俊さん「ソーシャルファイナンス革命」の出版記念講演*1で対談をさせていただいた際に使ったスライドが下記*2なのだが、主催のFEDさん*3の理念でもある、未来の金融の姿を探ろうという大きなチャレンジに、微力ながらタックルしてみた。慎さんとは、普段から一緒に勉強を続けていることもあって、敢えて事前の詳細な打ち合わせは互いに避け、動いた発想をぶつけ合うことができて、この上なく楽しかった。足を運んでいただいた皆様にも、あるいは中継をご覧になっていただいた皆様にも、もちろん驚かせてしまうだろう場面もあったにせよ、きっと喜んでいただけたのではないかと思う。


ソーシャルファイナンス革命 ~世界を変えるお金の集め方 (生きる技術! 叢書)

ソーシャルファイナンス革命 ~世界を変えるお金の集め方 (生きる技術! 叢書)


「ソーシャル」と題された会で、前座の自分が話す時間は最小限に抑え、さまざまに議論したいと考えたわけだが、正直に言えば、たったひとつでも何かを持って帰っていただきたいという強い重圧を事前には感じていた。なので、準備は最小限にと意識する傍らで、ひとつだけ思いついてしまったことがあった。今日のタイトルだ。


もちろん、すぐに捨てた。こんな話は、ほとんど誰も喜ばないだろうからだ。ただ、借金は別々の三者に向けて依頼されるようになるだろうという、1970年のブラックの予言*4を、いつものように噛み締めざるを得なかった。未来のあるチャレンジャーに協力したいと思いながらも、1)金が余っていて、2)リスクを許容できる、という二つの条件を同時には満たしていない場合は多いはずだ。言い換えれば、「このお金を使ってもらって構わないけど、返ってこないのは困る」ひとと、「金は持ってないが、どうせ博打ならお前に賭けてやる」ひとが力を合わせるとき、そこに融資が生まれる。


25世紀には、純然たる形のギャンブルは存在していないと、CAPMは暗示する。あらゆるリスクは、そこではチャレンジの全体との相関で評価される。例えばJRAは、馬券の払い戻しリスクを証券化して投資家に移転することで、馬券の買い手に安全割増を要求せずに済む。例えば保険会社は、保険の払い戻しリスクを証券化して投資家に移転することで、保険加入者に安全割増を要求せずに済む。


ソーシャルファイナンスの貸し手は、返済のリスクをギャンブラーに移転することで、借り手に要求されるプレミアムは、より小さなものになるだろう。低金利で借りられるわけだ。そんな世界を、僕はつくりたい。