「金融システム」が社会インフラだとはどうしても思えない

高速道路や鉄道や発電所が、乱立しちゃったら困る。それらは莫大な場所や物理的な設備を必要とするからだ。そんなところで、バリバリ競争と淘汰が行われたら、面倒も多いだろう。一方で銀行の役割なんてものは、要するに金の貸し手と借り手の間を繋ぐことだ。資本の方も含めて言うなら、金の出し手と受け手の間を繋ぐことだ。それだけだ。バリバリ競争してもらってよいと思う。


表題は、そういう意味で書いてみた。


パッと見の低料金のために手抜き工事された高架が、後に実は危険だと判明したにもかかわらず、解体には費用がかかるという理由で放置されちゃうような社会に住むのはいやだ。近隣住民はとてもおっかない。そういうものは、はじめから慎重に計画的につくってほしい。ところが、銀行のひとつやふたつ潰れたからって、別に困らない。いや正確にいえば、当事者はちょっとばかり面倒もあるだろうが、周囲は全然困らない。貸した金も借りた金も、オンボロの高架よりはずっと楽に売買できるからだ。


だから銀行なんてものは、じゃんじゃん参入させて、じゃんじゃん競争してもらえばよい。必要な条件はといえば、単にすべてをガラス張りにすることだ。後始末が必要になる場合もゼロじゃないだろうが、駄目な連中を救いながらお茶を濁し続けるよりも、社会全体が支払うコストはずっと低い気が、僕はしてならない。