人的投資の好機なら金融資産にも好機

アメリカのビジネススクール志願者数を引き合いに出して、野口悠紀雄氏は、今こそ自分自身に投資するタイミングだと説く。


最悪の雇用危機が迫るなか、真に必要なのは金融投資ではなく自己への投資
http://diamond.jp/series/noguchi_economy/10010/

経済が活況を呈しているときは、仕事をやめて(あるいは仕事の時間を削って)大学院に来ることの犠牲は大変大きい。つまり、大学院で学ぶコスト(機会費用:犠牲にされる所得)が大きい。それに対して不況時には、仕事を削ることの費用が低くなる。だから、大学院に来るのである。


実際に仕事がなかったり、あってもあまり稼げなそうだと判断するのなら、学校へ行くにはよいタイミングなのだろう。それより何より、知識と訓練によって自分自身が変わっていくことは、この上ない喜びだし、幾人もの自己投資の積み重ねは、社会を繁栄させる原動力となるだろう。とはいえそこで金融資産を貶める必要はなかろうというのが、今日のチャチャ入れである。


結論から書くのが僕の好みなのだか、人的資産が割安なとき、金融資産も割安である。もうちょっとぶっちゃけた方が、さらにわかりやすいだろう。人件費が叩かれてるとき、株価も叩かれているのだ。なぜなら、どちらもリスクのある投資だから。


考えてみると、両者はそっくりである。


企業が人を雇うとき、費用は固定的だ。年初に合意した金額を分割して払う。雇われた人は、時間と能力とチャレンジで、雇われた企業にリスクをもたらす。そのことによって得た利益も損失も、企業に帰属するものである。


投資家が株式を買うとき、費用は固定的だ。というか、買った値段が費用である。投資された企業は、時間と能力とチャレンジで、投資家にリスクをもたらす。そのことによって得た株価の上昇も下落も、投資家に帰属するものである。


人を雇うと同時に、株式を購入するようなケースでは、好むと好まざるとにかかわらず、両者はポートフォリオとして認識されるべきだろう。理屈っぽくてウザイと感じられるかもしれないが、実際のところ、理屈から逃れることは難しい。同じ文脈で語られ比較されるとき、それらは似た動向にならざるを得ないというのが、CAPMの示唆するところである。


というわけで、大学院の学費を払ってなお余るお金があるのなら、定期預金でなく金融資産への投資へ回すのが筋が通っている。自己への投資が割安と判断しているのなら、そのとき同時に、株価も割安と判断されるはずだからだ。もちろん、「いいトシして学校なんか行けねえよ」と考えている江戸っ子は、株だけ買えばよい。