市場と闘い続けた視点 - LittermanによるFamaへのインタビュー

シカゴで行われた昨年のCFA Instituteの会議での、LittermanによるFamaへのインタビュー*1から、抜粋して訳してみる。偉大な二人の明晰な対話に、僕の解説など不要に決まってるので、さっさと始めよう。


Litterman: あなたは市場の効率性と、また均衡におけるリスクとリターンの関係という、二つの大きな議論の中心にいました。一体なぜ、これらは重要な概念なのでしょうか?

Fama: 価格は入手可能なすべての情報を反映しており、生産的な資源配分のために正確なシグナルを提供するというのが、市場の効率性です。これこそが、資本主義の基本的な原理です。しかしながら市場の効率性をテストするには、市場が価格の決定を通じて、一体何をトライしようとしているのか、記述するモデルが必要です。具体的には、価格を動かすところの、均衡におけるリスクと期待リターンの関係を特定する必要があります。ところが逆もまた真で、ほとんどあらゆる資産価格モデルは、市場は効率的であると仮定します。なので、ある研究では資産価格モデルについてテストし、また別の研究では市場の効率性についてテストし、どちらも一緒になって、均衡におけるリスクの価格と市場の効率性にかかる命題についてテストします。二つの概念は、分離できるものではありません。

Litterman: そうしたアイデアをつくり上げる際に、何か「明かりの灯る」瞬間のようなものはあったのですか?

Fama: ありました。私が学部生だったとき、株式市場の予測サービスの仕事をしていました。私に与えられた仕事は、利益を生み出す機械的な取引ルールをつくり出すことでした。ただ、頑張って組み立てたルールは、常に過去に対してしか機能しませんでした。調査のサンプルから未来の側に飛び出し、実際の取引に適用しようとしても、うまく働くことはありませんでした。二年の大学院生活の後に、マートン・ミラー、レスター・テルサー、ベノワ・マンデルブロといった面々と議論を始めました。市場が正しく機能するとき、価格はどんなふうに振る舞うだろうかというアイデアについて、激しくやり合いました。これらは私にとって、市場の効率性と、均衡におけるリスクとリターンの関係の研究への入り口でした。
市場の効率性についてのアイデアが、だんだんと形になるにつれ、私のつくった取引ルールが未来に向かって機能しない理由は、価格の変化がランダムだからだと考えるようになりました。その時点では、そのことが効率的な市場を意味すると思われていました。もちろん今では、そうではないことが知られています。市場の効率性とは、均衡期待リターンからの乖離を、入手可能な情報によって予測することは不可能であることを指します。均衡期待リターンそのものは、予測可能な道筋で時間とともに変化しますから、価格の変化は、完全にランダムである必要はないわけです。

Litterman: あなたと私は、あるユニークな経験を共有しています。我々は二人とも、フィッシャー・ブラックの隣に、自席を構えたことがあるのです。何か思い出されることはありますか?

Fama: フィッシャーも私も、いつも朝早くオフィスに着いていました。CAPMの最初のテストが行われた際の話ですが、フィッシャーとマイロン・ショールズ、マイク・ジェンセンは、彼らの最新のテスト結果に疑念を持っていました。観測された市場ベータのプレミアムにかかる標準誤差が、株式リターンのボラティリティと比べて、低すぎるように思われたのです。そこでフィッシャーは、初期テストの大きな問題であった相関を許容しつつ、プレミアムを捉える、複数のポートフォリオを組み立てるエレガントな技法を組み立てました*2。そのことを彼が示してくれたとき、「これはグレイトだフィッシャー、回帰を発見したんだ」と私は叫びました。そしたら彼は「いやいや、してないよ」と。僕は「いやいや、したよ」と。彼は「してないよ」と。僕は「したよ」と。その繰り返しです。
ついには議論の果てに、その後に私の教科書*3の8章に書くことになる、複数のポートフォリオを用いて株式リターンをクロスセクション分析する手法について、彼に説明することになります。このアプローチは、1973年のジム・マクベスと私の論文で最初に用いられたもので*4、例えば小型株効果のようなファクター・リターンをテストする標準的な手法になりました。
フィッシャーはいつも、私が取り組んでいる問題について、根底から異なる発想を引き出してくれる、稀有な(マートン・ミラーと並ぶ)存在でした。研究を進めるに際して、これ以上に価値のあることはありません。同僚はいつでも、とても重要な役割を果たします。ひとりで仕事を進めることは難しく、時に時間を無駄にしてしまう。例えば、私はベルギーで二年間、ひとりで仕事をしたことがあります。戻ってきて、二年間の成果をマートン・ミラーに見せると、彼はその多くを「ゴミ箱行きだね」と。彼はすべての点で正しかった。

Litterman: 私も全く同じような、フィッシャーとの経験があります。さて、すこし最近の出来事について伺います。グローバルな金融危機を招いた理由について、どのように考えていますか?

Fama: まず第一には、サブプライム住宅ローンを後押しした、政治的な圧力の問題です。その後に大きなリセッションがやってきて、脆弱な構造は崩れ去ってしまった。劇的なリセッションがなければ、金融システムはこんなふうには壊れなかったろうと思います。サブプライムは基本的に、米国で起きたことですが、しかし危機は世界中に広がってしまった。たしかに他国の金融機関はサブプライムを買っていましたが、しかしながら以前には、愚かな行動をとって破綻こそすれ、危機を広げることはなかった。私は、市場が危機を引き起こしたとは思っていません。引き金となったのは、大きなリセッションでした。今回の経験によって生まれた最悪のものは、"too big to fail"の概念だと思います。

Litterman: 全く同感です。詳しく説明してもらえませんか?

Fama: 基本的に「大き過ぎて潰せない」金融機関は、その預金にはリスクがないと見做され、低コストで資金を調達することで更に巨大化し、そのことによって一層大きな問題となります。加えて、現在では誰もが「大き過ぎて潰せない」主張を受け入れていますが、このことは金融機関に酷いモラルハザードを誘発します。普段なら泥酔するほどには呑まないビジネスリーダーも、「大き過ぎて潰せない」と認定されれば、実現するか否かにかかわらず、あらゆるリスクを飲み込みたくなります。ドッド・フランク法がモラルハザードを防ぐとは思えません。あるいは完璧に近い法律を考えることができたとしても、そのまま実行に移せる可能性は、限りなくゼロに近いと思います。最もシンプルな方法は、金融機関の自己資本比率を引き上げさせることです。例えば、25%の自己資本を要求することからスタートし、もしうまく機能しなければ、さらに引き上げる。「大き過ぎて潰せない」金融機関の預金は、政府が保証するからという理由でなく、十分に自己資本が厚いからという理由で低リスクと言えるように、その比率を高める必要があります。

Litterman: (銀行の自己勘定取引を規制する)ボルカー・ルールに関しては、成功すると思いますか?

Fama: あまり期待していません。2008年には銀行だけでなく、同じようにリスクの取引を行っていた証券会社も破綻しました。銀行で自己勘定取引が行われなくなったとしても、証券会社では続けられるでしょうし、同じように「大き過ぎて潰せない」ことになります。何かが起きれば、救済することになってしまう。あまり状況は変わりません。

Litterman: また別の問題について聞かせて下さい。多くの年金基金では、著しい積み立て不足の状態に陥っていますが、何が起きたのでしょうか?

Fama: 多くの基金では、もちろん単に年金拠出が足りていませんが、より重要なことは、状況が以前より悪化していることです。計上されている負債の大きさは、実際のそれと比べて1/3程度に過ぎません。負債を小さく見積もってしまうのは、将来の年金支払いを割り引いて評価するための、保有リスク資産にかかる期待リターン設定によります。年金資産に期待するリターンでなく、負債のリスクが示唆するリターンによって、将来の年金支払いを割り引く必要があります。年金負債は基本的に、物価連動債のようなものに似ていますから、おそらく適切な割引率は2.5%程度であって、現在用いられているような7%や8%といった数字にはなりません。3%の割引率を使ったとしても、現在計上されている負債に比べて、少なくとも2倍以上に膨れ上がります。
このことは一体何を意味しているでしょうか?年金基金は、彼らの抱えているリスク資産のリターンが、年金財政を助けてくれる方に「賭けている」わけです。問題なのは、年金基金は今後も悪いマーケット環境を経験するでしょうし、そのときにも年金としての責務を果たしていく必要がある。リスクは圧し掛かってきます。年金はつまり、不快なことですが、大きなヘッジファンドになってしまっています。

Litterman: どうしたらよいのでしょうか?

Fama: ひとつの方法は、フィッシャー・ブラックが常に主張していたように、適切に負債を計上し、資産とマッチさせることです*5。しかしながら年金は、現在の金利水準を考えれば、割引率を引き下げる必要に迫られ、破綻するほどの積み立て不足を露呈することになりますから、難しいでしょう。
米国が直面する危機は、年金によって、数々の大きな地方自治体が破綻に近づくことです。地方政府は、まず負債を返済し、次に年金、それから行政サービス支払いをする順序になっていますが、本当にそう実行されるのか、よくわかりません。そして究極的には、破たんした地方政府は、中央政府に救済を求めることになります。よりスケールの大きなギリシャだと思ってみて下さい。

Litterman: 投資信託のマネージャは、報酬等のコスト控除前では、他のマネージャとアルファを奪い合うという研究を出されましたね。

Fama: その通りで、多くの人々に理解いただきたい内容です。アクティブな投資は、全体として、コスト控除前ではゼロ和ゲームです。よい(あるいは幸運な)マネージャの勝ちは、悪い(あるいは不運な)マネージャの負けの上に成り立っています。この原則は、個別銘柄レベルでも成り立ちます。あるアクティブなマネージャが、ある銘柄をオーバーウェイトして勝ったとき、他のマネージャが、同じ銘柄をアンダーウェイトして負けています。コスト控除前では、両側は常に相殺されます。つまりアクティブな運用は、コスト分だけ負けてしまうことになります。
ケン・フレンチとの研究では、すべての投資信託のリターンの分布は、コスト控除前では、右側の裾野も左側の裾野も同じようなサイズで、その中心はゼロです。言い換えれば、コスト控除前では、アクティブなマネージャは平均的にはスキルを持たず、しかしよいマネージャも悪いマネージャも、同じように存在することが期待されるように見えます。コスト控除後では、上位3%のマネージャのみが、コストを補って余るリターンを生み出すスキルを持つことが示唆されます。未来に向かっては、そうした成績優秀なトップパフォーマーでさえ、低コストのパッシブな投資信託よりも大きく期待できるとは言えない。そして残る97%は、より厳しいわけです。

Litterman: どんな結論を我々は引き出せるのでしょうか?

Fama: 投資家はアルファを獲得するマネージャを選び出すことは難しい。過去20年以上にも渡って、アクティブな運用の成績はノイズに満ち溢れていて、スキルと幸運とを見分けることの邪魔をしてきました。

Litterman: 株式のリスク・プレミアムについて教えて下さい。なぜ過去のデータでは、こんなにも大きかったのでしょうか?

Fama: ケン・フレンチとの論文で*6、CRSPのデータで見ると、P/E(株価収益率)は上昇を続けてきたことを報告しました。将来に期待する収益が膨らむか、あるいは割引率が縮小(期待リターンが減少)することによって、P/Eは上昇します。利益成長が見込める証拠を見つけることは(とても短い期間を除いては)困難ですから、高いP/Eは、割引率の縮小のよるものだと結論しました。割引率が縮小するとき、過去の株式リターンは高くなっていますが、未来に期待するリターンは低くなります。
未来に向かっては、おおよそ4%くらいが株式リスクのプレミアムとしては適当だろうと思いますが、この数字は、まだ多くの経済学者を困惑させると言えます。マクロ経済学者は、消費に基づいたモデルが示唆するところの、0.5%から1.5%といったプレミアム水準を適当と考えるからです。私に言わせれば、たった1%のプレミアム水準で一体誰が株を買うのか。ちょっと思いつきません。

Litterman: 人々が合理的ではないことを意味しますか?

Fama: いいえ、私は経済学のモデルが適切でないと考えています。リターンを期待する根拠としての、株式を保有することのリスクについて、上手に捉えられていないのです。

Litterman: 現在の実質金利の水準が非常に低いことは、何を示唆しているでしょうか?

Fama: 世界中の投資家が低リスク資産を強く好むことによって、実質金利を押し下げているように思います。

Litterman: あなたとケン・フレンチが、CAPMにチャレンジして、期待リターンのクロスセクションにかかる強い影響力を持った論文を発表する1992年まで*7、あなたはCAPMの忠実な支持者だと思われていました。何か変化があったのでしょうか?

Fama: CAPMは1960年代前半に生まれ、1970年代前半にテストが開始され、1980年代には小型株や低P/E、高配当利回りの株式リターンを説明することが難しいことが知られ始めました。それらの変数は、それぞれに研究によってテストされ、問題としては常識となる一方で、依然としてCAPMは、概して高い説明力を持っていました。我々の1992年の論文では、そうした変数を集めて、CAPMは根本的に壊れていると結論づけました。ひとつも新しいことのない論文が、こんなに受け入れられるとは考えていませんでした。材料は既に転がっていましたが、それらを集めて組み立てることで、新しい地平を切り拓いたわけです。

Litterman: おそらく最も引用されたファイナンスの論文だと思います。

Fama: 過去20年では、最も引用されたファイナンスの論文になりました。その後の1993年には、いわゆる3ファクター・モデルを紹介する論文を出しました。ここでは我々はCAPMのベータに、サイズのファクターと、バリュー/グロースのファクターを足しました*8。このモデルは現在では、アカデミックにも、また実務でも、広く使われています。

Litterman: バリューのプレミアムとサイズのプレミアムを、リスクのファクターだと捉えていますか?

Fama: ええ。どちらも分散によって消し去ることのできないリターンだと思います。これらのリスクは、市場全体のリスクとは違ったところから来ているように思われました。そうでなければ、CAPMが機能するはずです。これらのファクターは、例えばP/B、P/E、配当利回りのように、株価と関連した変数ですから、株価は市場ベータには含まれない情報を含んでいることを示唆しています。これらのファクターは、その本当の源が何であるにせよ、さまざまな株式の期待リターンの変化を捉えるために、よい方法であるように思われました。

Litterman: モメンタムはどうでしょうか?リスクのファクターとするのは、なかなか苦しいところもありませんか?

Fama: モメンタムも共分散を構成します。しかしチャレンジは、もしモメンタムが株式リスクの時間的変化を表現するとすれば、モメンタムの銘柄ターンオーバーが高すぎるということです。市場の効率性にかかる議論のうち、モメンタムは最も重要なもののひとつだと考えています。

Litterman: 行動ファイナンスは事後的な説明に過ぎず、テスト可能な新たな問題を提起しないと、かつて批判されていました。この分野の近年の進歩を踏まえて、見方は変わりましたか?

Fama: 行動ファイナンスは、ミクロのレベルで、個々の振る舞いの記述としては、非常に面白いと思います。他方でミクロからマクロへ、個人から市場へと話がジャンプすると、データで確認することが困難になってしまう。例えば、バリューにプレミアムが存在するのは、非合理的だとする行動ファイナンスの見方があります。もし本当に非合理的なら、消え去ってしまうはずでもありますが、しかし実際には消え去っていません。また行動ファイナンスは、モメンタムやリバーサルに関しても説明します。私には、あまりにも柔軟過ぎるように思えます。科学的とは考えにくい。ダニエル・カーネマンは「ファスト・アンド・スロー」で*9、我々の脳には二つの側面があると述べています。合理的な面と、衝動的で非合理的な面と。そのようなモデルで説明できない事象は存在しません。

Litterman: 最近話題の、低ボラティリティ株式の超過リターンについて、見解を聞かせて下さい。

Fama: その超過リターンは、低ボラティリティというよりも低ベータによるもので、存在の可能性については、50年ほど前から知られていました。CAPMの最初のテストの際に、いつも横たわっていた問題は、証券市場線、またはベータの関数としてのプレミアムの傾きが、モデルの示唆するそれと比べて低いことでした。低ベータ株式のリターンは予想よりも高いことを、高ベータ株式のリターンは予想よりも低いことを意味します。

Litterman: このアノマリーを説明するのは、フィッシャー・ブラックによるオリジナルのアイデアでしょうか?

Fama: フィッシャーのアイデアは、オリジナルのCAPMでは、貸借に無リスク金利を想定することを問題視したものでした。もしこの想定を放り出してしまえば、市場ベータについて我々が知り得るのは、それが正の値ということだけだと、彼は言っていました。

Litterman: もしすべての投資がパッシブになったら、何が市場を効率的にするのでしょうか?

Fama: 極端には、完全な情報を持って、非常にアクティブに取引する微小な富が存在すれば、市場を効率的とするのに足ります。効率的な市場が、よいアクティブな投資家を必要とするのは、悪いアクティブな投資家による間違いを正す分だけです。このことは、必ずしもすべての投資家がアクティブな投資信託を買う理由にはなりません。アクティブな投資マネジメントの大きなノイズは、よい(しかし不運な)マネージャと、悪い(しかし幸運な)マネージャを見分け難くします。間違って悪いアクティブなマネージャにお金を渡してしまえば、その分だけ市場を非効率にしてしまうとも言えるわけです。最も重要なことはおそらく、かつてビル・シャープが指摘したように、アクティブな投資信託は報酬等にかかるコストの分だけ負けてしまうという算術の問題です。

Litterman: いわゆるリスク・パリティな資産配分について、どう思われますか?リスク・パリティな資産配分とは、ポートフォリオ内のすべての資産クラスが、同じレベルのボラティリティとなるように配分を調整するものです。ポートフォリオは全体として、例えば株式60/債券40と似たリスク水準となるように、調整されます。

Fama: そうしたアプローチについて、あまり考えたことはありません。ポートフォリオの問題を解くに際して、すべての資産のリスクを等しくする、というような条件からはスタートしません。ポートフォリオの全体のリスクを、与えられた期待リターンの下で最小化する資産配分を模索するとき、すべての資産についてボラティリティ水準が等しくさせることにはなりません。リスク・パリティは、ポートフォリオの問題に対して、最適からは離れた解を与えることになります。

Litterman: FRBのバランスシート拡大によって、どのようなインパクトが市場にもたらされますか?

Fama: 基本的には、インフレーションを制御する力を失わせます。リーマン・ブラザーズが破綻した2008年には、FRBは市場を動かそうと、大量に有価証券を買い付けました。しかしながら、そうした行動の結果として起きたのは、市中の銀行によるFRBへの預金が拡大したのみでした。この準備預金の拡大に利息が伴わなければ、物価の上昇を引き起こしたかもしれません。実際にはFRBは準備預金への付利を始めたわけですが、そのことはつまり、中央銀行が債券を発行して債券を購入していることを意味し、大きく見れば中立的です。
2008年以前には、インフレーションの制御はマネタリーベース(紙幣と準備預金)の制御であったとも言えます。しかし中央銀行が準備預金には利息を払う現在、紙幣の供給がインフレーションに影響を与えます。しかし紙幣は、銀行によって準備預金に替えられてしまいます。つまりFRBは、紙幣もインフレーションも、また物価の水準も、制御することはできないわけです。かつてFRBはインフレーションを制御していましたが、現在の状況では、そうは言えないと思います。

Litterman: そのことは、米国の直面する債務の問題と、どのように関わりますか?

Fama: 債務の問題は、根本的に異なります。債務の問題は、我々が現在のために、どのくらい未来を犠牲にするのか、そして我々は犠牲にした未来のために、現在に何をつくり出すのか、というものです。ケインジアンと非ケインジアンの間で、2008年から大きな論争になっています。

Litterman: しかしインフレーションは、債務の問題を解決する一つの方法ではないしょうか?

Fama: ええ、たしかに一つの方法でしょう。しかしよい方法とは、とても言い難い。もしFRBが準備預金に利息を払うことを止めれば、我々はインフレーションの問題を抱える可能性があります。2008年以前には、マネタリーベースは約$150Bでした。紙幣と法定準備の水準は、あまり変わっていませんが、超過準備によって、現在の負債の大きさは約$2.5Tにも及びます。物価の水準が、この2つの数字の比率によって変化するなら、ハイパーインフレーションを意味します。そうなれば、経済は機能しません。政府の負債は実質的に消え去るでしょうが、経済も同様に消え去ります。

Litterman: 現時点で金融、財政政策にかかる提案はありますか?

Fama: とてもシンプルで、バランスすることです。ある傑出した人物が、プライベートで、2007年の政府支出の水準まで戻すことで、我々は予算を均衡させることができると口にするのを聞きました。現在の経済は、当時と同じようなサイズです。もし単に政府支出を、その時点の水準まで戻せば、予算は均衡に近づくと思います。