限られた資源としてのファクター投資

ほとんどあらゆるアクティブな投資判断はサイズの意味で有限である。例えばトヨタVWに対して買われることを見込むとき、より大きく顧客の資産を背負うほど、取引が動かす価格は、期待する収益を押し潰してしまう。にもかかわらず運用のプロフェッショナルでさえ、矛盾した価格体系を提示している場合は珍しくない。アスネスが指摘するように*1例えばトラッキングエラーの意味でのリスクと、整合的な報酬となっていないケースだ。ロングショートをイメージいただくのが手っ取り早いと思うが、ざっくり二倍のリスクを取りたければ、二倍のポジションが必要になる。ざっくりキャパシティは二倍消費するわけで、それに応じてフィーは二倍貰わなければ、ディスカウントしているのと同じことだ。


加えて、こうしたアクティブな投資判断が、例えばバリューのように広く知られた投資テーマの場合には、あるいは日経平均の銘柄入替でもよいが、自分だけでなく他のマネージャとキャパシティを共有していることになる。原油やサンマと同じで、自分だけが価格や収穫を調整しても、誰かが持って行ってしまえば、その分だけ資源は減ってしまうわけだ。これまでに絶滅してきた、数々の共有された資源と同じように、例えばモメンタムが既に絶滅しているのかどうか、よくわからない。期待されるアルファの大きさは観察できず、他方でそれが単にノイズだったとしても、トラッキングエラーは消えていないからだ。あるいは職人が上手に捕まえるクオリティは、そこらへんの雑なクオリティ*2が絶滅に瀕している中でも、生き残っている可能性さえある。リスク管理のテーマは絶えない。