「包括緩和」に関する公開質問状

煮るのか焼くのかハッキリしないようなQE2よりも、「リスクプレミアムを押し潰す」と高らかに宣言した日銀の「包括緩和」の方*1が、よっぽど性質が悪いと思うのだが、強い批判も擁護も、少なくとも自分の視界では、あまり見かけなかった。いつも思うのだが、米国は何歩も僕らの先を行っている。シビれるオープンレター*2が昨日飛び出してきたことに触発され、ささやかながら自分も書いておきたいと思った。部分的にでも賛同いただける場合には、転載なりRTなり、いただけますと幸いです。

物価の安定

そもそも「物価の安定」なる20世紀の概念について、どのように考えるのか。より安いサービスを求める消費者に生産者が努力によって応えること、新しい付加価値を生み出すことで対価を引き上げること、我々の嗜好そのものが変化すること、技術は進歩を続けること、消費人口も生産人口も変化すること、紙幣が信頼を失えば放り投げるように扱われること、これらすべてを同時に含まざるを得ない「物価」の表面のみを参照したことで、80年代から90年台にかけて金融政策を誤ったと総括したのは、日銀自身だ。我々は次のステップに進む必要がある。様々に市場環境を見渡して、様々な対策を打っていくなどという神のアクションにも似た方針が、決済を預かる公的機関として適切だと考えるなら、それは日銀万能論と一体どこが違うのか。

中央銀行の目的

そもそも中央銀行の目的を、どのように定義すべきと考えるのか。「物価」のように、明確には定義され得ない概念を用いることに、混乱の源があるのではないか。もちろん、既に与えられたマンデートに対処することが現在の日銀の最大の使命だとしても、経済と金融の姿について、あるべき未来の金融政策の姿について、組織として、誰よりもよく知っているのは、残念ながらあなたがた日銀だ。アクションを起こす力を持つ者が極端に限られているとき、手続き論は後回しにせざるを得ない。これまでの金融政策が引き起こしてきた問題について、当事者として整理し、よりよい姿を提言することは、大きな意味での日銀の使命に含まれていないか。

無リスク金利とリスクプレミアム

公認された決済手段としての紙幣によって、独占的に資金を調達することで、無リスクの金利に対して圧倒的な介入余力を持つ日銀が、しかし、未来の短期金利や、その外の市場に介入しようとする目的は何か。そもそも紙幣のデュレーションはゼロで、我々の日常的な決済のリスクを最小化しようとすれば、保有すべき資産は短期国債に限られるはずだ。組織としての目的を確認しないまま、また紙幣利用者の同意を得ないまま、我々のチャレンジのリスクを負担しようとする意図はどこにあるのか。買い圧力によってリスク資産の価格が一時的にでも高まれば、当然のことながら、それは潜在的な投資家にとって利鞘の減少を意味する。資源の効率的な配分がなされる価格は需給が決めるそれだと、白川総裁はシカゴで学んだはずではないか。チャレンジのリスクに関して、当事者意識でなくマクロの使命で動く巨大なガリバーは、世界を振り回し不安定にするだけではないか。


書いてみたら、質問状というよりも、どちらかといえば主張になってしまった。しかもちょっと個性的だ。これじゃ賛同だって少ないだろう。とはいえ、似たような主張や運動を考えられている方がいらっしゃるなら、是非参加させて下さい。