クラッシュとは、要らんものを要らなかったと認める過程である

もちろん金融市場の話だが、お前は何を言っているんだと、わけがわからないと思われる方もいるかもしれない。もしかすると他方で、例えば資金調達の最前線で、またはカリフォルニアの青い空の下、あるいは中国のスモーキーでゴーストな都市で、ピンと来られている方もいるかもしれない。



思えばサブプライム住宅ローンは、だいぶ要らんところまで膨らんでしまった挙句の調整だった。もちろん、さほど所得の高くない方々がカネを借りて家を買えること自体は、無条件に素敵なことだ。ただ、返せないカネまで貸してしまうようなサービスは要らない。そういうローンを集めた箱も、要りそうな気がしたが、よく考えてみたら(思ったほどには)要らなかった。そういう箱の上に乗った約束*1も、要りそうな気がしたが、よく考えてみたら(思ったほどには)要らなかった。


なぜ我々は、要らんものを繰り返しつくってしまうのか。ひとつには、よく見えないことがある。そもそも未来はよく見えないものであって、須く我々は試行錯誤を繰り返す。しかし加えて、先の例で言えば、さほど所得の高くない方々の暮らしの実態や、家を買った後の生活について、よく見えていなかった。もうひとつは、金利が安かった。カネが借りやすかったので、とりあえず突っ込む先を探したかった。要するに大して踊りたくもないのに、スピーカーはガンガン鳴らされた。


いつだって未来の話をしたいものだが、いま周囲を見回して、ピンとくるものはないだろうか。要りそうな気がしてたけど、実は要らないんじゃないかと予感させるようなモノはないだろうか。それらは、よく見えないことや、カネが借りやすいという理由で、ブーストされていないだろうか。心当たり、俺はあるぞ。そしてこれから、米国の短期金利は、更に上がっていく。