拡張された市場ポートフォリオ

復習から入ろう。他の投資と似ているリスクには、大きな見返りを要求するとトレイナー*1は指摘した。半世紀も前の話だ。独特な投資先は、人気で価格が吊り上がると捉えてもよい。あらゆる投資対象に対して、誰もが似たような情報に基づいて、そうして評価してマーコヴィッツの流儀でポートフォリオを組み立てれば、金太郎飴のように、我々は世界の輪切りをポートフォリオとして持つことになる。もちろん例えばETFの隆盛は、そうした行動を更に容易にしつつあるわけだ。


そうして要求されるプレミアムの大きさを、相対的に表現するところのベータは、以下のような形をしている。任意のポートフォリオWについて、市場ポートフォリオWmarketとの共分散を評価し、その分散で規格化したものだ。


WmarketTΣW / WmarketTΣWmarket


さて「従来の投資と相関が低い」看板は、実際のところ多くの金融商品に掲げられている。例えばベータ中立を謳うヘッジファンドは、先の理屈に従う形で、人気が出てもおかしくない。だから売りまくりたいと、近しい関係者は考えるわけだ。ならば、それさえリスク世界の一部を構成し、金太郎飴に巻かれているはずではないか。書き下してみよう。


Wmarket = Wmarket + cWactive


等号は、代入演算子と思っていただきたい。実はWmarketは、時価総額として観察される市場ポートフォリオと、アクティブな投資配分Wactiveとの和だった。右辺第二項は、あらゆるアクティブな投資からベータ中立な成分を取り出し、ひとつのETFに押し込めたポートフォリオと考えていただいてよい。残念ながら観察することは難しいが、もちろん実在する。定数cは、その市場ポートフォリオに対する残高の比を表す。ベータ中立なポートフォリオは、一般にロングもショートも含むわけだが、股の開き具合と突っ込まれる大きさとの積を考慮するわけだ。


シャープの指摘*2を振り返るまでもなく、世界のどこかに、Wactiveとは逆向きのポートフォリオを抱える投資家を想定する必要が出てくる。それらが互いに打ち消しあうことで、観察される結果としての時価総額Wmarketが残るわけだ。そうした投資家は、例えば静的には、必ずしも利益を目的としない連中*3であり、また例えば動的には、変化を探らず果報を寝て待つパッシブな連中*4である。彼らもまた、見返りを払う。


さて、ベータを書き換える必要が出てくる。一般化だ。


(Wmarket + cWactive)TΣW / (Wmarket + cWactive)TΣ(Wmarket + cWactive)

= (WmarketTΣW + cWactiveTΣW) / (WmarketTΣWmarket + c2WactiveTΣWactive)


分子では、市場ポートフォリオとの共分散に加えて、アクティブ成分の全体との共分散を評価する。また分母では、アクティブ成分も含めた分散で規格化するわけだが、定義から両者の共分散はゼロである。


シビれる美しさじゃないか。従来の見方との差分を評価したくなってしまう。分子を見れば、我々は第二項つまりアクティブな成分との共分散にかかる分だけ、ベータを過小評価している。よくあるアクティブな成分と似た、ありふれたアクティブなファンド*5は、もっと割り引かれてよいと言っているわけだ。また分母を見れば、第二項つまりアクティブな成分の存在感が大きいほど、ベータを過大評価している。つまり時価総額ポートフォリオだけ見ていても、他の投資と似ているか否かについて、評価は難しい。例えば金融危機の際には、我々はこのことを痛感している。