要求する見返り、受け取る見返り

株式リターンが、たった一つのファクターによって説明されるなんて馬鹿げている、みたいな言説をしばしば見かけるのだが、実際のところトレイナーが何を予言したのか、この理屈が学校で教えられるようになった現在でも、誤解は極端に多い。


いつものように具体例を挙げたいわけだが、一年後に100円が返される予定のリスク証券について考えてみよう。もちろん予定は未定であって、100円は返されないかもしれない。あるいは50円だけ返されたり、それさえ延期されたりするかもしれない。なんだよ株の話じゃないのかよと思われる方もいるかもしれないが、この100円の部分を、例えば「来期の利益」に置き換える拡張は容易で、ご自身で後ほど試してみていただきたい。


さて、その一年後に100円が返されるリスク証券を、90円なら買ってもよいと考えたとする。言い換えれば、あなたはこのリスクに、10円の見返りを要求している。証券を発行する商売人から見れば、一年後に100円を払う約束で、いま90円を受け取る。


ところが翌日、事故が起きたとしよう。火災が発生し、商売は一時的に停止してしまった。一年後に100円が返される予定のリスク証券は、いまなら80円くらいが妥当かなと、世間は値踏みする。このリスク証券には、20円が要求されることになった。昨日から保有していたあなたにとって、今日の時点では、受け取った見返りはマイナス10円である。


要求した見返りは10円、受け取った見返りはマイナス10円。大違いだ。方向さえ逆だ。この間、株式市場は上昇していて、さらにくやしい。学校で習ったCAPMは破綻しているのだろうか。


してないよ。トレイナーが予言したのは、最初にあなたが要求した10円という見返りの大きさを決める際に、他の投資先との関係について考えるだろうという点である。他にも複数の投資をしているあなたが、先のリスク証券を新たにポートフォリオに組み入れる際に、既存と大差ないなと、あまり新味がないなと思えば、リスクの分散にはならないのだから、より大きな見返りを要求する。安くなきゃ買わない。既存とは違うぞと、だいぶ独自性があるなと思えば、リスクの分散になるのだから、より小さな見返りしか要求しない。高くても買う。


あるいはまた、いまなら80円くらいが妥当かなと、事故の後に世間が値踏みする際には、皆の他の投資先、つまり市場の全体との関係について考えるだろうと予言する。火災によって商売の独自性は変わらなくとも、リスクは大きくなってしまった。両者の積を、市場の全体のリスクで割って規格化したのがベータである。あなたが今日の時点で受け取った、マイナス10円という見返りについて、直接の言及はない。


要求する見返りと、受け取る見返りを区別する。いま具体的に感じられたあなたは、学校でも現場でも、きっとぶっちぎりだぜ。