信用から見たインフレ目標

信用スプレッドみたいな単語を持ち出すと、それだけでブラウザを閉じてしまう方も多いと思うのだが、その「返してくれるのか、よくわからない分だけ利息を多く寄こせ」の概念を中心に、中央銀行によるインフレ目標について説明してみたい。ちょっと聞いたことのない話もするが、俺の本音を聞いておけ。


要するに中央銀行が避けたいとするところの、いや避けたいからこそ中央銀行が設立されたわけだが、高インフレは、紙幣の信用スプレッドが拡大を続けている状態と思う。何を言っているのか、よくわからないかもしれないが、特に極端な話はしていない。信用スプレッドが拡大を続ける借金とは、要するに売られる債券のことだ。あいつダメだと、その価格は下落を続けている。つまり高インフレは、紙幣や中銀への預金が、それらとしばしば交換されるところの商品やサービスと比較して、その価格が下落を続けている状態と思うわけだ。もちろん原因は、紙幣や預金の形での中銀への貸しが、「返してくれるのか、よくわからない」と感じられることにある。最近ではジンバブエ中銀が挙げられるだろうが、例えば勝手に借用証を増刷して配るような借り手を、誰も信用することはできない。


インフレ目標は、こうして見ると、発行体による「信用スプレッドの拡大を許さない」宣言である。要するに「私はちゃんと返します」「信じて下さいね」と主張しているわけだが、信用されるか否かは当然のことながら、そいつの振る舞いに依存するので、例えば日銀は詳細に財務報告*1を続けている。皆がやってるからとか、利下げの余地がほしいからとか、インフレ目標のフワフワした説明よりも、こう考える方がずっと好きだ。


さて、ではデフレの状態は、信用スプレッドが潰れていく過程と考えられるだろうか。もちろん、そうした場面の可能性もあるだろうが、例えば我が国が経験した高々年率1%程度の物価下落を、そう捉えることが適切とも思いにくい。紙幣や中銀への預金が、それらとしばしば交換されるところの商品やサービスと比較して緩やかに対価を得るのは、スプレッド縮小による価格の上昇*2というよりは、どちらかといえばキャリーに近い。貸してやってるんだから、ちょっとくらい色つけて返せという、無リスク金利の自然な水準*3とも感じられる。角度を変えれば、値段をつける製造者やサービス提供者は、できる範囲で頑張り続けるわけで、日々の努力や発見の一部は、品質向上や価格下落の形で還元されるわけで、その表現と思う*4とスッキリしないか。当然の帰結だが、これを「脱却」が必要な状態と考える理由も見つからない。