最古のマネー
紀元前四千年、西アジアに最初の都市が出現する原動力となったのは、麦や羊などの原始貨幣を使って給料を支払う分業システムであったと、NHKスペシャルは指摘する*1わけだが、そうしたコモディティよりも、おそらくずっと古くから、「貸し」はマネーとして機能してきたはずだ。具体的に考えてみよう。
あなたは旅する商人のロデムである。峠を越えて、家族や友人の待つ港街へと帰ろうとする途中で山賊に遭ってしまった。万事休すかと思われたところ、たまたま通りかかったロプロスに助けられる。
ロデム「ありがとうロプロス、この恩は忘れない」
一緒に街まで歩いてみると、実はロプロスは腹を空かせていて、何か食べたいと言う。ロデムは喜んでリクエストに答えて、漁師のポセイドンに伝える。
ロデム「ポセイドン、彼に腹一杯の魚を食わせてやってくれ」
この寸劇の中に、少なくとも二つのマネーが登場していることに気付かれるだろうか。まずロデムを助けたロプロスは、ロデムの発行するマネーを受け取ったと考えることができる。そう、忘れない「恩」である。そのマネーを使って、ロプロスは港町で魚を食べることになるわけだが、その魚はポセイドンが提供する。二つ目のマネーには、二つの可能性がある。かつてポセイドンが発行したマネーをロデムが保有していた(つまりポセイドンはロデムに恩があった)か、あるいはロデムがポセイドンに対してマネーを発行した(つまりロデムはポセイドンにツケで払った)か。
この後、数千年の時間をかけて、麦や羊、あるいはゴールドが、こうした「貸し」マネーの隙間を埋めていくことになる。その理由は、おそらくシンプルで、スイカやナナコと違って脳による記憶はあいまいだし、証書を残すのは高コストである。恩は現物で、さっさと返してしまった方が、後になって見解の相違で揉めることもない。
さて、現在の中央銀行は「貸す」ための機関である。何を言っているか、わからないかもしれない。いつでも誰でも、中央銀行に「貸し」をつくることができる。つまり中央銀行は、いつでも誰からでも「借りる」機関である。ロデムはロプロスに「君には借りができた、だから僕の日銀への貸しを君に渡そう」と言って、清算するために発明された機関なのである。こうしてロデムから日銀への「貸し」は、ロプロスから日銀への「貸し」へと振り替えられる。きっとポセイドンだって、快く受け取ってくれる。紙幣にも、あるいは預金にも、数字が書いてあって便利である。もちろん中央銀行は、ある日突然に雲隠れすることもない。
もしかすると、マネーは本質的に「貸し」なのではないかと、感じられてきたかもしれない。僕もそう考えている。「貸し」は常に分業と隣り合わせで、僕らが未来に見つめる望みに向かって、前進する仕事を助けてきた。言うまでもないことだが、それは中央銀行が能動的に「供給する」類のものではない。これまでも、これからも。
ロデムを助けた恩の大きさよりも、ロプロスが食べた魚の量の方が多い場合も、実際には少なくないだろう。一宿一飯の恩義は、一般に利息を付けて返される。待たせてしまったことへの礼も、「貸し」が返されないかもしれないリスクへの我慢も含まれているからだ。時間の値段とリスクの値段は、我々の21世紀にも、経済システムの根幹を成している。いまだにバベルの塔のような中央銀行を使っているが、しかし砂の嵐は近いかもしれない。その日のために、当ブログは続きます。