ビットコインを借りて、商売を始める

銀行貸出がどうしたとか、信用創造がどうしたとか、アベコノミクスと日銀、あるいはFRBと緩和縮小を巡って、地に足の着かない議論を見かける割に、「未来のマネー」を借りてきて商売を始めることの困難については、いまだに考察を見かけない。技術や決済、犯罪の話ばかりだ。もちろん未来のマネーについて知った風なことを言って、結果的に間違っていたら格好悪い。誰かが発言したことを、簡潔にまとめておくくらいが無難だ。学校の先生にだって、会社の看板にだって、守るものがあるわけだが、そういう危険な領域に、当ブログは積極的に突進したいと常々考えている。ほとんど場合、誰も追いかけてこないが、それも独り言の醍醐味だ。


さてビットコインを借りてきて、商売を始めよう。そうだな今日は、パン屋をスタートアップすることにする。


ビットコインを貸してもらえませんか」


その仲介するスタートアップすら、米国では既に始まっていそうだが、とにかく相手が見つかればよい。いくらかの利息を返す約束と一緒に、工場をつくり、小麦粉を仕入れ、人を雇うことができるくらい、ビットコインを借りてくる。もちろん工場をつくってくれる職人や設備屋、また小麦粉の問屋や従業員が、ビットコインを受け取ってくれるとは限らないが、そんなときは円に交換して払う。日本でカネを借りて、外国で商売を始めることにも似ている。


無事に商売が回り始めると、ビットコインの返済が始まるわけだが、同時に財務担当の苦労が始まる。まず人々の食生活の嗜好や景気の変動によって、パン屋の商売の懐具合は変わるが、それ以上に、ビットコイン返済の実質的な大きさが常に変化してしまうのである。ビットコインに人気が集まり、価格が他の通貨や商品に比べて高騰するとき、1btcを返済する負担は重くなってしまう。1つのパンが売れたときに得られるビットコインの量は小さくならざるを得ないにもかかわらず、返済するビットコインの量は事前に約束しているからだ。もちろん逆に、ビットコインが皆に見放され、価格が他の通貨や商品に比べて下落するとき、1btcを返済する負担は軽くなる。1つのパンが売れたときに得られるビットコインの量は大きくなるが、返済するビットコインの量は事前に約束しているからだ。なんともイヤなリスクである。高々数%程度の政策金利をチョロチョロ上げ下げして、「景気を制御」しようとするアクションは一般に、商売にかかる返済の負担を慮ってのことだが、ビットコイン価格の変動は、それよりも桁違いに頻繁かつ大きい。


そもそも商売にかかる貸借が、ビットコインに連動する必要はあったのだろうか。貸借からビットコインへの連動を外して、より一般的な物やサービスの価値を基準に、それらを再構築できないだろうか。


というふうに、まったく同じように、我々は貸借からゴールドへの連動を外し、単に安全かつ流動的であることを目的として中央銀行を設立し、その負債を貸借の基準とした。「物価の安定」とは、その言い換えである。ところが最近になって、絶望的なセンスにも感じられる我が国の首相は、中央銀行を半ば恫喝し、国債を押し付けている。あるいは北米でも英国でも、根拠なき熱狂を操る最後の貸し手は、金持ちを更に金持ちにした結果として、貧乏人に更なる貧乏を押し付け、再び不動産価格を高騰させている。「政府や中央銀行に左右されない」アナーキズムの救世主として、そうした乱暴に苦しめられた地域や知識層を発端に、ビットコイン旋風は巻き上がってきたのである。


どうにも話がぐるぐる循環して、何を言っているかわからないと思われるかもしれない。要するにビットコインは、やり方がヘタだ。「未来のマネー」の姿を探ろうってのに、素朴な貨幣論からスタートして、これまでの我々の通貨と貸借にかかる経験を踏まえておらず、必然的に同じ歴史を繰り返す破目に陥るだろう。いや、まだ道半ばだが。


そんなヘボいビットコインに対して、しかし僕は希望を持って、こうして記事を書き続ける。テクノロジーが活躍することで、民主的で、分散された、誰もが参加するが誰にも制御できない、そんな「思想」を体現する未来のマネーは、存在し得るように思われるからだ。ビットコインの変動から貸借を切り離すのに、必ずしも中央銀行は唯一の方法じゃないと思われるからだ。少なくとも21世紀には、さまざまな形でリスクは取引されている。繰り返し書いておきたい。野心のある、元気な若い人、僕に電話を下さい。一緒に未来を、つくり出そうぜ。