保険が博打でない理由

「保険は、自分の災難について賭けた博打である」


などという言説を、知的かつ幸せそうな方々から聞くことが多いが、まったく同意できないので、簡単にメモしておきたい。


保険会社から見れば、あなたが死のうが生きようが、事故が起きようが病気が治ろうが、さほど嬉しくも悲しくもない。もちろん人として、誰かの幸せは嬉しいものだし、誰かの不幸は悲しいものだが、それがあなたではなく他の誰かであったとしても大差ない。


他方であなたや家族にとっては、あなたが死ぬことや、あなたに事故が起きることは、一大事だ。今後の毎日は、どうしたって大きく変わらざるを得ない。どんなに貯金を積み上げていたとしても、災難のショックに加えて、みるみる預金残高が減っていくのを見れば、あるいは将来の所得が失われる事実は、体験した者なら誰でも知っていることだが、大きな不安を伴う。


つまり、あなたにかかる災難と支出について、あなたと保険会社とではリスク認識が非対称だ。いくらかの保険料を片側に付けて、そのリスクを交換する約束が大きな市場になるのは、その意味では、とても自然なことだ。そうした需要を「無意味だ」などと、簡単に言えるはずもない。


そもそもリスクは主観的なものだが、それらの交換が促されるとき、どんなふうに価格は変わっていくだろうか。あなたのリスクを、あなたほどには災難と感じない者が引き受けるほど、そのことはきっと保険料を押し潰していく。


この春から、さまざまな理由をつけて、一部の生命保険は値下げするようだが、こんなものは超ウルトライントロに過ぎない。世の中を動かさない、小さなリスクにかかるプレミアムは、25世紀には限りなくゼロに近づくだろう。業務にかかる手数料は残るだろうが、もちろん他のサービスと同じように、競争に晒される。