均衡マネジメント報酬

金融機関の報酬が高過ぎるとか、アクティブ運用する投資信託の報酬の考え方とか、そういったお話をする機会があって、上手に理屈で表現できないものかなと考えてみたところ、あっさり出来た。しかも会心だ。結論から言えば、チャレンジがユニークであるほど、大きな報酬を要求することができる。他人と同じことをやっても、ほとんど報酬は得られない。早速見ていこう。


投資家が資金調達に応じるとき、そのリスクに要求するリターンE(ri)は、馬鹿みたいに当然だが、経営者の報酬を差し引いた後のものだ。差し引く前のリターンを、ここではグロス収益E(rigross)と呼ぶことにしよう。このとき、こんなふうに表現することができる。


(1) E(ri) = E(rigross) - Fee


そして同時に、CAPMによれば、ある投資に要求するリターンE(ri)は、無リスクの金利rfに加えて、市場ポートフォリオに要求する超過リターンの比例分で構成される。その係数をベータと呼ぶ。


(2) E(ri) = rf + βi{E(rm) - rf}


で、両者を合わせると、こうなる。


(3) Fee = {E(rigross) - rf} - βi{E(rm) - rf}


なんてシビれる示唆だろう。数値例で確認してみたい。調達した100億円を投じて、10億円のグロス収益が上がるケースを考えてみよう。簡単のため無リスクの金利をゼロとすれば、報酬はここから、ベータと市場ポートフォリオのリターンの積だけ差し引かれる。

1) 独自の利益を生み出しているケース

当然だが「独自の利益」の市場との関わりは薄く、ベータはゼロに近い。このとき、経営者はグロス収益のほとんどを、報酬として受け取ることができる。なぜなら独自のリスクは投資家にとって、既に保有しているポートフォリオと組み合わせることによって分散され、それだけで効率を高めるからだ。報酬として、新たに生み出す10億円の多くは、持っていってもらっても一向に構わない。

2) 実は市場と似ているケース

「経営の多角化」などと称して、結果的には、単に市場ポートフォリオと似たビジネスを運営していたとすれば、ベータは1に近い。このとき経営者は、ほとんど報酬を受け取ることができない。なぜなら、仮に100億円を株式市場に投じたとしても、いずれにせよ同様に10%程度上昇しているだろうからだ。両者の積を差し引いたとき、残るのはほとんどゼロである。どうせ似たようなものなら、ETFを買うにしても、先物のロングでも、よりコストの小さい選択肢は他に存在している。


実際には、多くのビジネスやアクティブ運用は、両者の中間のどこかに位置しているのだろう。本物のイノベーションも、完全なパッシブも、そうあちこちにあるものではない。また財務レバレッジは、このときベータを拡大させる。つまり借金して市場ポートフォリオに投じることで、「上げ潮」の中で市場ポートフォリオを上回ったとしても、(3)式の右辺第二項で結局差し引かれてしまう。よくできたモデルだ。上式は、「金額あたり」の表現になっているが、「リスクあたり」の表現になっていないので、このあたりがいまひとつ見えにくいかもしれない。ならばリスクで割ってみよう。考えてみれば、そもそもチャレンジとは、金額とリスクの積だと思うのが適当だ。


(4) βi = ρimσim


ベータはこのように、当該リスクσiと市場ポートフォリオのリスクσm、そして両者の相関係数ρimで構成される。(3)式のそれを置き換えて、両辺をσiで割ってやろう。


(5) Fee/σi = {E(rigross) - rf}/σi - ρim{E(rm) - rf}/σm


すこしモダンな表現になった。単位チャレンジあたりのマネジメント報酬率は、グロス収益のシャープ比から、市場ポートフォリオのシャープ比と、両者の相関係数との積を差し引いたものになる。実に素敵だ。すべての経営者は、他の皆と違うリスクで、独自の収益を生み出すことを目指せと、このモデルは主張している。


誤解していただきたくないのは、このモデルは、「こうしたらどうか」という提案でもなければ、「こうあるべきだ」という提言でもない。おそらく25世紀には、「こうなっているに違いない」という予言である。現状がモデルから乖離しているとすれば、そのことは社会の非効率を暗示している。つまり、よりよいやり方があるはずだ。我々が総じて前向きに、工夫を続けて生きるとき、誰も均衡から逃れることはできない。


金融機関が市場と似たような収益を生み出し、また市場と似たような危機に陥るような、つまり烏合の衆なら、25世紀には、高い報酬を受け取れてはいないだろう。誰にでもできる仕事は、誰にでもやらせることによって、価格を下げることができる。もちろんそのとき、投資家に返されるリターンは増えており、またブローカーとしての金融機関に支払う手数料は下がっている。社会の効率は向上している。どんなビジネスであれ、ユニークでないのに、馬鹿みたいに高い報酬が確保されているのなら、高いのは連中の能力でも生産性でもなく、おそらく単に参入障壁だ。