リスクの分業

「株主至上主義」などと書かれると、中央の四文字が似ていて、見栄えのしないレッテルだなと思わざるを得ないのだが、藤末議員による具体策のさっぱり見えない問題意識に対しては、既に素晴らしいブロガーの皆さんが、あちこちで明快な主張を繰り広げられている。いまさら僕が付け加えることなど、ほとんどないような気もするのだが、当ブログらしく、そもそも論に立ち戻って考えてみたい。結論から言えば、彼の主張は、要するに順序が逆だ。


株主至上主義との決別 - 産業動向 - Tech-On!
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20100107/179043/


株主と従業員の分業が、なぜこんなにも現代に発達しているかといえば簡単で、チャレンジを実現するために必要なお金を、必ずしもアイデアの持ち主や現場のリーダーが持っていないからだ。資金調達の意味で、最も原始的なビジネスの形態は、自分のお金でチャレンジする個人商店なのだろうが、例えば大規模な工場をつくって、大勢に手伝ってもらうことで、良質の衣料を低価格でつくりたいと考えたとき、そのために必要とされる大金など持っていないのが普通だ。そんなとき、どうすれば自分の理想を社会にぶつけられるだろう。

負債

ひとつの手法は、誰かにお金を借りてくることだ。貸すことを商売にしているのが銀行だし、最近じゃ連中が仕事をしないので、(その善し悪しは横に置いておいて)公的機関がじゃんじゃん貸してくれる。近くの役所を訪れて、相談してみよう。もちろん、どんなふうにチャレンジするつもりか、しっかりと相手に伝えることは大切だ。そうやって借りた100円を使って、頑張って商売して成功したとき、はじめに約束した金額だけを返せばよい。借りた100円でもって、200円を生み出したとき、はじめに契約で固定された110円を返せば、残りの90円は自分の手元に残ることになる。資金の出し手と受け手は、こんなふうに分け前をとる。もちろん「残り」は、プラスのときもマイナスのときもあるだろう。要するに、そこには大きなリスクがある。

出し手 受け手
固定 残り

資本

もうひとつやり方がある、眠っているお金を抱えている、リスクをとってもよいかなと思っている、スポンサーを見つけてくることだ。つまり、株式を発行するのである。保守的な銀行の連中は、見たこともない新しいチャレンジにはとても冷たい。役所だって、記述が枠からはみ出すような書類は、決してつくってくれない。少数派が目指すべき資金調達は、実際のところこれしかない。さて、このとき資金の出し手と受け手が、それぞれ未来に受け取る分け前の性質は、借金のときとは逆だ。前線でビジネスを動かす資金の受け手が取る金額は、給料としてあらかじめ契約しておく。それらをすべて受け取った上で、スポンサーには残った分を返す。出資してもらった100円でもって、200円を生み出したとき、はじめに契約で固定した50円は給料として受け取り、残りの150円は株主の手元に届けるのだ。お前を信じて本当によかったと、喜んでもらえるに違いない。大きなリスクをとっているのは、株主の方だ。

出し手 受け手
残り 固定


リスクと給料の配分が、すこし極端だと思うかもしれない。どちらの要素も、もうすこし両者にあってもよいのではないかと、感じるかもしれない。そういったマイルドな形を実現するのは、とても簡単だ。資金の受け手が、同時に幾分か、出し手にも回ればよい。つまり働く自分自身も、株主の一部になるのだ。そうすれば、事業の成功や失敗に、その持分に応じて、チャレンジャーの取り分も連動するようになる。実際に、従業員持株会のような形でそういった分け前を実現しているケースや、また報酬を株式で受け取るようなケースも多いだろう。ベンチャーにとっては、創業者と出資者の持分バランスは古典的な問題のひとつだ。理屈から考えれば、この負債と資本という2つの基本的な手段、そしてその程度をそれぞれに調節することで、リスクと分け前とをバランスする、あらゆる可能性を表現できることに気づかれるだろうか。


だからリスクの分業を実現する手段が、これまでのところ、上記の2つ以外にほとんど世に出てきていないことは、僕には必然に感じられる。もちろん実際の社会は、こんなにも単純ではないことは明らかだ。「将来」が来る前に、チャレンジャーは事故に巻き込まれて亡くなってしまうかもしれない。嘘をついたり、裏切ったりする奴だって、悲しいことにしばしば出てくる。「関係者」は、いつでも多数存在しているどころか、その全貌すら見えないし、それぞれに夢と生活と思惑がある。だから我々は何百年もの時間をかけて、とんでもない知性と、信じられないほどのチャレンジを注ぎ込んで、このリスクの分業の実践について、ブラッシュアップしてきた。ブロガーの皆さんの中でも、約束とルールについて法律の専門家がしてきた仕事の観点からは@ny47thさんが、リスクと分け前について経済の専門家がしてきた仕事の観点からは@TaejunShinさんが、それぞれ素晴らしくまとめてくれている。


「株主の行き過ぎた権限を抑制する」?
我々のチャレンジの全体を、その足元を支える要素から考えるとき、その意味が理解できるだろうか。いや、さっぱりわからない。


政治家がすべき仕事とは何だろう。法律の専門家や、経済の専門家が、これまでに積み上げてきた偉大な仕事を、実際に世の中に適用していくことだ。それは最も難しく、最も尊敬されるべき仕事のひとつだと、僕は常に確信している。この文脈で、反重力装置をつくり出せないだろうか、などといった類の夢想を、希望があって素敵だとは到底思えない。あなたが子供でないのなら、そんなものは、偉大な先人達の努力と納税者への侮蔑だ。