CAPMの逆襲(1) - リスクの視点から世界を眺める

突如連載的な気分になったので、遠慮してても仕方ないので、とりあえず書き始めてみるのですが、構成やら順序やら、それ以前に書きたいことの全貌すら、明らかにならないまま徒然るので、先行きはまったく不透明であることを容赦下さい。なるべく長く続くように、短めに書くことにしようかな。普段から短いけどさ。


ちょっとでも時間が経つとき、その間に大抵のことには、何らかのリスクがあるものです。後で食べようと冷蔵庫にとっておいたお菓子は、家族に発見されて食べられちゃうかもしれない。今度のボーナスが出る前に、会社は火事になっちゃうかもしれない。明日核ミサイルが飛んできて、皆死んじゃうかもしれない。


今から未来のある時点までを考えたとき、どんなリスクが、どのくらいあるのだろう。お菓子を風呂上がりにのんびり食べる心地よさは最高ですが、それまでに家族が冷蔵庫を何回開けるか不明です。また万一冷蔵庫が壊れちゃうとき、生菓子は危険です。どのくらい会社が火事になりそうかわからないし、それでボーナスがいくら減額されそうかもわかりません。核ミサイルが飛んでくる可能性がどのくらいあるのか、さっぱりわからないし、それを迎撃できる可能性も、さっぱりわかりません。


割と明らかなリスクも、わかりにくいものも沢山ありますが、ともあれしかし、あらゆることにはリスクがあって、そんなふうに周囲を眺めてみると、「ふうん」と思うこともある。ただ「あらゆることにリスクがある」だけだと、「人はいつか死ぬ」くらいに、馬鹿みたいに当たり前なので、じゃリスクってどのくらいあるの?どんなふうに見積もるの?そのとき僕らどうするの?という、素敵な出発点に辿り着いたところで、今日は終わりにしようかな。


出発点だからって決して馬鹿にはできなくて、それだけで「金融危機の原因」なんて明らかで、どんなリスクがあるのか、よくわからないまま皆行き過ぎちゃったって構造なわけですよ。