ネバーランドの金融危機

ネバーランドには、銀行はひとつしかない。そのネバー銀行に皆が預金し、給料は振り込まれ、また商売をする者は、ここからカネを借りる。それらの金利はといえば、預金者と借り手の両方を見て、バランスを探りつつ決めるのが、ならわしだった。


あるときネバー銀行は、急に積極化した。具体的に言えば、貸す金利も預かる金利も、それまでよりも低くした。借りたい者は喜んで借り、商売や投資は増えた。預金する者は嬉しくなかったが、他に選択肢はなかった。仕方なく、すこしだけ貯金よりも、使ってしまうカネの方を増やした。経済は、うまく回り出したように見えた。


借りる金利は低いのだから、大して儲からない商売も行われた。預ける金利は低いのだから、大して欲しくないものも買った。つまりカネは動いたが、幸せは大して増えなかった。一方でネバー銀行の規模は、どんどん大きくなった。借りる者が増えたからだ。借りたカネを突っ込む先は、真面目に商売を考えるよりも、不動産や株の方が手っ取り早かった。それらの価格も、どんどん上がった。ネバーランドの富は増えた。


ただ、建てたアパートには、思ったよりも入居者は見つからなかった。商売の方も、投資は積極的に行われたが、回収の見込みはといえば、よく見ると怪しいものも多かった。もちろん、どちらも未来への夢はあった。つまり富は夢だった。


あるときネバー銀行で、議論が巻き起こった。経済は好調なので、金利を引き上げるべきだと主張する者がいた。また別の者は、投資と価格の「不均衡」を理由に挙げて、やはり金利の引き上げを主張した。ネバー銀行は、ゆっくりと金利を引き上げ始めた。


それぞれの商売は、支払う金利が増えて、だんだんと苦しくなった。加えて、投資さえ引き上げられることが増えた。カネを出す側から見ると、預金に払われる金利が増えるほど、そちらの方が危険な投資よりもマシに感じられることが増えたからだ。危険な投資の値段、つまり株価は下がった。


商売や投資の状況は、より明確にされる必要が出てきた。思っていたよりも建物は使われなかったし、思っていたよりも売上は伸びなかった。そうした見逃していた事実が確認されるほど、更に投資は引き上げられた。まだ隠れているのではないか。そう皆に疑わせるほど、株価は下がり続けた。ネバー銀行にさえ、疑念は向けられた。


ネバー銀行で、議論が巻き起こった。この危機に対応するために、金利を引き下げるべきだと主張する者が出てきた。ネバー銀行は、急に金利をゼロに近づけた。皆が既視感を覚えた。