なぜあの銘柄を買ったか

5年前、地震のあった翌週には、株買いの号砲*1を鳴らし続ける中で、報道を睨み続けながら、東京電力の注文を入れていました。その理由は、よく自分でも整理できていなかったのですが、おそらく要するに、当事者になりたかった。



正直に言えば、長い時間が経過して、思い出すさまざまな事柄の時系列も詳細も、記憶は既に怪しくなってきました。ただ、切迫した状況に動揺する中で、自分と彼らとの関係は、直接的には単に電気代を払う顧客に過ぎなかった。眠らない官邸が放水ヘリを現場に飛ばす中で、そのことが腑に落ちなかった。投資とは何か。その大きな問いの中には、暮らしを大きく左右する原発を、保有し運営する電力会社の上場と取引についても、含まれているはずでした。


もちろん同時に、皮算用もしました。もっとも高いのは人間で、ざっと1,000万円を100,000世帯に配れば1兆円、この桁なら東京電力は払えるだろうと考えました。他方で、その後の経営環境の苦しさには、想像が至りませんでした。


政府が銀行に融資を要請したニュースは、勝利の半分をもぎ取ったと感じさせました。もう潰すことはできない。政府は資本主義を謳い、電力会社の株式を上場させた。そして、また銀行も株式会社です。誰も市場の外側にいることはできない。少なくとも、そうした事実と、改めて政府は向き合うことになります。


6月には株主総会に足を運べば、しかし混沌が渦巻いて*2いました。「お前ら全員原子炉へ入れ」という罵倒は、ある意味では先進的な、株主による質問です。識者は揃ってトンチンカンな論評を持ち寄りましたが、将来と株価については、誰も問わなかった。そしてまた経営陣は、全くの異次元でした。ここではガス抜きに慎重な時間をかけた後、水戸黄門の印籠の如く相互会社からの委任状を持ち出し、すべてを反対多数と認めた。21世紀の日本の、資本主義の姿です。


なにもかもプリミティブだってことは、ある意味では希望に満ちていて、だって僕らには、まだまだ取り組む仕事が残されてる。未来のための。明日のための。