なぜビールなのか

例えば「今度ビットコインあげるよ」の形で、すべての支払いを済ませる*1ことは、やはり容易に実現可能です。そうしたビットコイン決済の枠組みをつくろうとする際に、実は、ビットコインの直接的な取引は不要です。「今度ビールおごる」に、直接にはビールが必要でないことと同じです。


「今度ビールおごる」貸借アプリ*2は、ビットコインに触発されてつくりました。ビットコインは魅力的なプロジェクトですが、くやしいのは、しかしサトシは最初の設計を間違えました。ビットコインが目指すものをつくるために、ビットコインは不要だと、僕には感じられたのです。


もちろん例えば「今度100円払うよ」の形で、すべての支払いを済ませることは、やはり容易に*3実現可能です。そもそも預金は、銀行の我々に対する「今度100円払うよ」であって、あるいは紙幣は、日銀の我々に対する「今度100円払うよ」であるわけです。そう、ここでも、お金をつくるために、お金は不要の構造。信用創造?わざわざ面倒な言い方するなよ。


オーケー、じゃどうして我々は、ビールを喜ぶのと同じように、ビットコインを喜ぶのだろうか。ビールを喜ぶのと同じように、また円を喜ぶのだろうか。


答えはシンプルで、僕は長い目でビットコインを喜ばない。円は喜ぶけど、しかし日銀の貸し先が気になるわけです。もちろん、じゃ日銀がビールや醸造所を買えばカンペキって話じゃないのは、だって例えば、うまいビールを僕らが無尽蔵につくり出すことが可能になる未来には、その価値は変わってしまう。


だから今度は、未来を取引したくなる。こうして新しいプロジェクトは始まります。