多様への挑戦

この場所で、この問題を採り上げることが望まれているのかどうか、よくわからないが、ただ最近ネタ不足気味でもあるのと、あまり腑に落ちる議論を見かけなかったので、メモしておきたい。


都議会での少子化にかかる質問中に「お前が結婚しろ」と飛ばされた野次は、必然的に「お前が子供を産め」という内容を示唆すると思うが、それは僕にとっても不快な台詞だ。僕もまた子供を持たないわけだが、だからといって自分が少子化対策の議論に加わる資格がないとは思えない。あるいは、そのように主張する者がいるのなら、それは多様を脅かす無知だと感じられたからだ。


そう僕にとって問題は、野次でもなければセクハラでもない。傷ついた女性都議の気持ちでもない。都議会で放たれた野次は、多様を脅かす、僕が何よりも憎むナイフだった。発言は例えば、必然的にLGBTの方々にとっても、他人事ではないように思われた。日本では、いまだに彼らは結婚という制度の対象にすらなっていない。SNSで見かけた女性蔑視への問題意識は、多様への挑戦にかかる一部分に過ぎないように思われた。


当然のことながら、都議同士の直接的な謝罪に焦点を当てた報道も、やはり気に入らなかった。彼が謝罪すべきは、特段の悪意なく、無知によって、多様への脅威を振り回したことであって、彼自身に認識を深めてもらい、また謝罪の会見を通じて、そのことを広く社会へと伝える役割を期待していたからだ。


そんなにスグに、世界なんて変わらない。僕だってよく知ってるさ。この場所で、この問題を採り上げることが望まれているのかどうか、よくわからない。ただ最近ネタ不足気味でもあるのと、あまり腑に落ちる議論を見かけなかったので、メモしてみた。