経済は家計とは違う

と題するクルーグマンのコラム*1は、サージェントによる経済学が教える12のレッスン*2のひとつ

2. Individuals and communities face trade-offs.


へのコメントで、タイトルから想起される「政府は紙幣を印刷できる」というような与太話では全くない。マクロな経済が直面する「トレードオフ」は、ミクロな個人が直面するそれとは違うという主張だ。彼は物価が下落し、かつ短い金利がゼロに張り付くとき、正の実質金利レバレッジ解消圧力となって不況を招くと言う。

Indeed: in normal times interest rates rise or fall to match desired spending to the economy’s productive capacity. But what if the interest rate needed to achieve this outcome is negative? Well, that can’t happen ― so when the deleveraging shock is big enough, the economy goes into a depression.


ちげーよw*3


黒田さんも指摘する*4ように、我が国の物価は、長い時間をかけて緩やかな下落を続けた。決して、大恐慌のような投げ売りでも、また「スパイラル」でもなかった。理由はシンプルだ。「パニック」を長期間続けることは難しいし、また実質金利を「高過ぎる」水準まで押し上げるほど、安売りに輪をかけた安売りを続けることも難しい。時間の値段としての実質金利は、物やサービスの買い手と売り手とが、B/Sの反対側で資金の出し手と受け手として、綱引きで決めてきたのだ。


我々が過ごした20年は、その意味で「神の手」のひらの上にあった。決して「失われ」てはいなかった。暮らしの変遷を振り返ってみれば、少なくとも僕は20年前*5には戻りたくない。