ゴックスを円天に例えるのは、ちっともおかしくない

「円天とは違いますよね」「わかってますわかってます」


ここ数日ビットコインについて、いくつか取材を受けた中での雑感なのだが、概して皆さんよく勉強されている。しかしいくら詰め込んだところで、肌で感じることは簡単でないこともあり、どうしても物言いは雪降った道を歩くように慎重だ。特に円天には絶対に例えちゃいけないと、誰かに怒られたのか知らないが、考えているようでもあるのだが、しかし一方で、マウントゴックスを円天に例えることは、さほどおかしいとも思われない。簡単にメモしておきたい。


顛末を乱暴に要約するなら、取引所を自称するゴックスが顧客から預かっていたビットコインが、どうやらハックされ失われたようだと伝えられており、実際に引き出すことは不可能な状況*1である。その信憑性は不明だが、リークされた文書*2によれば、下記のように極端な債務超過に陥っている。


2,000BTC744,408BTC
742,408BTC


翻って円天について思い出してみると、お得ですよと謳ってカネを集めたわけだが、その左側に保全されているはずの資産は、失われてしまっていた。


資産負債
純負債


バランスシートの右側は、それぞれビットコイン建てだったり、円天建てだったり、するわけだが、貸し手としての我々にとってマターなのは、連中が左側の資産を失い、購買力の意味で返済を期待することが難しくなった点である。この構造の中でビットコインや日本円は、もちろん表現の媒介としては重要だが、しかし特に何の役割も演じていない。


「一時的に停止しているだけです」「これから頑張って返しますから」


といった声明もゴックスの周辺からは聞こえてくる。しかしながら、とても残念なことは、彼らの意図にかかわらず、こうしたフレーズは金融詐欺に典型的なものだ。もちろん円天の波会長も似たようなことを言っていた。ゴックスが単に杜撰だったのか、それとも悪意があったのか、外から判断することは難しいわけだが、そうした構造すら典型的で、すべての詐欺師が悪意はなかったと主張するのは必然なのである。AIJ投資顧問のおっさんも、勝って返すつもりだったと言ってたじゃないか。


蛇足だが、ゴックスを「取引所」と報道することが、構造を見えにくくしているようにも思われた。既存の金融システムについて振り返ればわかることだが、例えば我々は東証に株式や現金を預けたりしない。口座は金融機関に開き、取引所へのアクセスはブローカーを経由する。要するに東証が株式を盗まれるようなことは、まず有り得ないと言っていい。今回は受渡あるいは預かりの機能がアタックを受けたようだが、それらは既存の金融システムで言えば、銀行に強盗が訪れたようなものだ。


顧客の資産を分別して管理することをはじめ、我々の金融取引のプロセスは、時間をかけて洗練を進めてきた。責任は機能によって分解され、それぞれに監視が安全を探り、安心して金融取引ができるように、血眼になってマナーすら構築してきた。銀行で配られるのは常にティッシュだが、それなりの歴史的経緯があるわけだ。


ビットコインにとって、あるいはまだ見ぬ未来のマネーにとって、そうして使い勝手を洗練させるステージは、まだ始まったばかりだ。これから現れる優秀な連中が、大きな飛躍を夢見て、今後尽力するのだろうと思う。我々が何千年もの時間をかけて取り組んできた、そのままの道を。

*1:この記事を書いた2/28に、民事再生法の適用を申請した

*2:http://www.scribd.com/doc/209050732/MtGox-Situation-Crisis-Strategy-Draft