日銀が資金繰りに窮することはあるのか?

という内容の質問が昨日のECBの会見*1で出たそうだが、ノーと笑ったドラギには、なかなか答えにくいだろう事実について、僕が指摘しておこう。未来に向かって、答えはイエスだ。

Question: I am wondering: can the ECB ever run out of money?


Draghi: Technically, no. We cannot run out of money. We have ample resources for coping with all our emergencies. So, I think this is the only answer I can give you.


紙幣を刷ればいいじゃないかと、思うかもしれない。よく感情的な人々が叫んでいるこの方法は、しかし刷られた紙幣を受け取る人々が存在することを前提としている。とはいえもちろん言うまでもなく、資金繰りに窮してる奴の手形なんて要らない。何らかの資産を売り渡したり、あるいは商品やサービスを日銀に提供した対価は、「ドルで下さいよ」「ゴールドで下さいよ」「ビットコインで下さいよ」と言いたくなるという話だ。ではどんなときに、そうして「信用」は疑われるのか。ほぼ同語反復だが、例えば債務超過である。損こいて凹んでる奴が発行する紙幣など、受け取りたくない。


では預金の形なら、借りてこれるだろうか。市中の銀行は、つぶれそうな親分にカネを預けるだろうか。冗談じゃない、そんなもの銀行の株主が許さない。奇しくもバジョットが「最後の貸し手」機能について指摘した*2ように―矢印の向きこそ逆だが―困ってるから貸してくれというなら、少なくとも相応の利息を要求する。


要するに、中央銀行といえど根本的に我々と同じなのだ。カネに困っているほど借りにくい。無理に集めようとすれば、高い利息を要求されてしまう。さて、気付かれた方もいるかもしれない。「量的緩和」は、中央銀行が沢山カネを借りてくる話だが、もちろん利息を払っている。利息を払うことで、残高を集めているのだ。つまり量的緩和は、中央銀行の資金需要である。そんなものが物価を上昇させる理由になるはずもない。そもそも「緩和」にすらなっていない。


中央銀行が我々と異なるのは、資金繰りに窮するとき、そのことの影響は非常に大きい。そりゃそうだ。銀行の親分が困っている状況下で、互いの貸し借りに疑心暗鬼になるなと言う方が無理な話で、あちこちで上乗せ金利が発生してしまう。商売には極端に悪影響だし、どこに預金するかだって迷う。だから中央銀行の最大の目的のひとつは、白井さん、チャレンジしない*3ことなのですよ。