さよならALM

保険や年金は、その負債が長いので、だから政府に長く金を貸すのだと言う。そんなものは絵空事だと、さっさと捨てちまえという話なのだが、なぜそんなふうに考えるかといえば、昨日の絵*1の中に「長い負債」は見えてこない。どういうことだろうか。


シンプルな例を考えよう。15年後に1,000万円を受け取る約束の金融商品を購入していたとする。生きていたらとか、死んでしまったらとか、さまざまに条件が付いたものが保険や年金だが、わかりやすさのために部品を取ってしまっても、話の一般性は失われない。で、保険や年金の運用現場では、15年後に1,000万円が返される約束で国に貸す。要するに「長い国債」を買うわけだが、そうすれば保険や年金の運用としては無リスクで、また政府から見れば、15年間は返す必要なく借金して比較的安心できるという寸法だ。


どっこい、万一政府日銀による「デフレ脱却」大作戦が奏功するなどして、物価が毎年2%上昇するように思われたとする。このとき15年後の1,000万円の購買力は、実質的に


1,000万円 / (1 + 2%)15 = 743万円


まで縮小している。そう予想される。家族や老後のための準備が、意図せず削られそうだ。つい、この金融商品を解約したくなってしまう。年率1%で回ることが予定された商品は、一割の解約ペナルティを持っていかれたとしても


1,000万円 / (1 + 1%)15 x 0.9 = 775万円


が返ってくる。金額を見れば、こっちの方が明らかに得だ。もちろん細かな数字や算式は、さまざまに入れ替えてもらって構わない。だんだんと僕の言いたいことが、伝わってきただろうか。いつでも「返して下さい」と言われてしまうような金融商品の負債は、長いとは言えない。自明のことだ。


だからこそ「解約モデルの確立が急務である」的な見方が、あるのかないのか知らないが、そりゃもう筋の悪い発想だと、一応指摘しておきたい。土台から間違えた建物に絆創膏を貼ったところで、使い物にはならないからだ。そもそもなぜ物価上昇時、あるいは金利上昇時に、金融商品を解約したくなってしまうのかと言えば、その使い道の方は「固定」されていないからだ。15年後に1,000万円が用意されていることが、暮らしのために必要かつ十分なら、商品設計はニーズに合っていると言えるだろう。が、実際には違う。額面1,000万円で足りるかどうか現時点では不明だし、多ければ多いほど素敵だと思わない者は、どう考えても少数派だ。ここが本来の出発点である。


さて必然的な帰結として、物価の上昇、あるいは金利の上昇によって失われる金融商品の価値が、解約ペナルティの大きさを上回ると一般に判断されるとき、それら金融商品の解約を通じて、長期債は大量に売られることになる。CPPIがブラックマンデーを加速させたように、物価の上昇、あるいは金利の上昇が閾値を超えるとき、嫌なスイッチがバチンと入って、更に長期金利を急騰させるだろう。言い換えれば、この不安定な構造が、現在の市場を(一見)安定させている。


風の噂だが、こうした状況を見越してか、財務省の敏腕課長は、物価連動債を置き土産に異動されたと聞く。その慧眼には恐れ入るが、ついでにもうひとつお願いしたいことがあるとすれば、金融商品の解約ペナルティの適正化だ。ほとんど届かないと思っていたスイッチを踏んでしまった瞬間に、まるごと世界が豹変してしまうよりも、普段から押し合い圧し合いする方が健全だという歴史的事実を、僕らは嫌というほど学んできた。