すべての紙幣を皆がスイカにチャージしたマクロ経済学

似たような話を、既に何度か書いているような気もするのだが、重複にビビってブログなぞ続けられるものか。似たような音楽を量産し続ける魅力的なミュージシャンだって、挙げればキリがない。未来の金融政策の話なら、俺に任せなよ。というわけで、財布の中に入っている紙幣を、皆が一斉にスイカにチャージする世界の話である。仮想的と思ってもよいし、25世紀について探る挑戦と考えていただいてもよい。ともかく紙幣を残らず、駅の券売機に投入だ。


現在流通している80兆円の紙幣が、すべてJR東日本の券売機に吸い込まれる。大変な事態だが、必ずしも不可能とは言い切れない。我々の紙幣は、すべてポイントになり、コンビニでの買い物も、今夜の一杯の代金も、スイカでシャリーンと支払う。もちろん家計は特に変わっていない。紙幣だった分がスイカになっただけだ。


いきなり巨額の入金があったJRは大変だが、資産として紙幣を80兆円、そしてポイントは負債として、やはり80兆円を抱えることになる。泥棒に入られると大変なので、紙幣を銀行に受け取りに来てもらえば、預かった80兆円の資産は預金に変わる。実はJRは、この時点で大きな収益源を得ているのは、80兆円の資産につく利息は、0.1%でも800億円である。そうなると預金よりも、より高い利息を求めて、つい国債を買ってしまいたくなる。


もちろん日銀も大変である。これまで発行していた80兆円分の紙幣が、JRおよび銀行を経由して返却されてしまった。同じ額の当座預金の残高も、JRが国債を買えば引き出されてしまう。当座預金の残高を保とうと思えば、国債よりも魅力的な利息を払って資金を引き留める必要があるが、そのための財源は限られている。無利息の資金調達*1としての紙幣は、既に失ってしまったからだ。こうして日銀の収益構造が圧迫される中では、金融政策の実行は難しくなるというのが僕の見立てだ。例えば伝統的な「低金利での貸し出し」を継続しようと思えば、モダンな中央銀行のルールに従うなら、どこかで同じ分だけ利益を生み出している必要がある。


さてJRは、数百億円から数千億円にも及ぶ収益源を手にしてウハウハなわけだが、お祭り騒ぎは長くは続かない。そうしたオイシイ状況を、あのセブンイレブンが指を咥えて眺めているはずはないからだ。ナナコは魅力的なポイント利息を身に纏い、スイカから残高を奪いにかかるだろう。そうなればJRだって反撃せざるを得ない。やはりスイカの顧客にポイント利息を支払い、残高を取り戻すべく再び襲い掛かる。マネー戦国時代の幕開けである。


元々我々の財布の中にあった紙幣に、利息は払われていなかった。その同じ分だけ、日銀は「金融政策」として、市場で借り手にバラ撒いていたわけだ。その紙幣が、ところがポイント利息を競争するスイカやナナコに変身する。金融政策は消え去り、その同じ分だけ、我々の手元に購買力が返されることになる。金利とは、きっと本来、こうした殴り合いで決まるものだ。必然的に、誰の意思なのかサッパリわからなかった低金利政策は消え去り、結果として今よりも「バブル」は減るかもしれない。


すべての紙幣を皆がスイカにチャージしたマクロ経済学を思い描くとき、「もうすこし日銀にも頑張ってほしいが、安倍総裁は極端だ」とか「貨幣の持つ3つの機能が云々」といった、百家争鳴の中央付近にある無難な言説が、どれだけ何も言っていないか感じられるかもしれない。新聞や識者、ニャンコ先生らが考えているよりも、きっと未来は、ずっと近くにある。