月のウサギになったつもりで、低金利政策を眺めてみる

さっきの続き*1だが、僕らはそれぞれ、限られた時間を過ごす。ひとりひとりを眺めてみると、若いときには誰かの役に立つことが多く、年を取れば誰かの世話になることが多い。ある瞬間を眺めてみると、元気のいい奴が、年寄りや子供の分もつくっている。


金利政策が実行されている世界では、そうでないときと比べて、若いときに役立った分ほどには、年を取っても誰かの世話にはなれない。一方でその分だけ、つくるチャレンジは応援されている。当然のことながら、あまり要りそうにないものまで、ついつくってしまう。


地域によって、例えば北米と欧州とアジアで、その度合いは違ったりする。境界を跨いで、「応援」を送ったり、あるいは受け取ったりもする。境界を跨いで、役に立つことと、世話になることのバランスが変わったりする。さまざまな約束に影響を与えている。