俺達緩和

もう一年も前の、あの地震のあった金曜の深夜、東京都心は車で埋め尽くされ、歩道にも人波が溢れる中をかき分け自宅に辿り着いて、最初に呟いたのは株のことでした。



その全貌も、津波の被害もよくわからず、余震も収まらない状況で、自分の道具から見た今後の心配は、資金調達が復興のチャレンジを妨げることだと反射的に感じました。要するに、売られるだろうと。また同時に、しかし買う理由しか、少なくとも自分の中には存在しないとも。



朝から晩までNHKを睨み続け、伝えられる状況の恐怖に怯えながらも、必死で考え、いや考えているつもりが「買う」という、ただ二文字だけが頭の中を駆け巡って、しかし必死で言葉を絞り出し、そしてなるべく多くの方に伝えたいと考えました。こんなときに株のことを考えるなんて、馬鹿げてるかもしれないけど、しかし、どう考えても今後にとって金は必要なはずでした。



周囲の勇敢なプロフェッショナルの方々から、それぞれに月曜には動くという声が聞こえ、また同時に、こんなときに動くものじゃない、ましてや他人を煽るものじゃないと、お叱りも沢山いただきました。リスクマネジメントとは何か、自分が現場で真剣に考え続け、取り組んできたことの答えは、しかし既に目の前に、大きく立ち聳えているように感じられました。ふざけるな馬鹿野郎。今買わねえで、俺がやってきたことに、今後だって意味を見い出せるわけがない。買いたいときに、買ってほしいと思われているときに動けないのなら、生き延びている意味がない。



月曜のオープニングは、信じられない光景でした。ほんの一瞬でも、全体から見ればゴミみたいに小さいはずの、俺達の買いが明らかにマーケットを押していたからです。自分はといえば、何を買ったらいいか考えることができず、たったひとつ、あの銘柄*1を除いては、なんとなく目についた株を適当にクリックして、同時に視界に入ってくる「買う」呟きを、ひたすらリツイートし続けました。まったく何が起きてるのか、理解が難しかったけど、「仕方なく」取引する巨大な連中の売りに潰されるはずが、明らかに違う風が市場に吹いていました。皆が買ってる。血が沸く。こんな体験は初めてでした。


























もちろん、すぐに押し返されて戦線は後退し、そして原発の危険が伝えられるにつれ、市況も深刻化していきます。火曜日は、まるで空からナイフが次々と降ってくるようでした。苦しかった。自分が見ている範囲でも、あちこちから血の叫びが聞こえてきます。撤退を余儀なくされる方も出てきた。すこしだけ後悔しました。買いを叫ぶとき「できる範囲で」と強く書き添えるべきだったと。ただ買う進軍は、昨日よりも明らかに広がっていました。確実に、何かが起きている。世界は変化を続けているように感じられました。



節電で、すこしだけ街が暗い中、水曜日には、この進軍ラッパを一緒に吹いた方々の幾人かと、お会いして酒を飲むことになりました。気が動転していたからか、何を話したのか、よく覚えていないのですが、しかし [twitter:@Zoomchaka] [twitter:@kenchamam] [twitter:@hongokucho] [twitter:@boheism] さんらと何かを交換して、とても嬉しく、心強い気持ちになりました。凄い連中は、こんなときに凄くて、自分の視界も、以前よりも広がったように思えたのです。俺達が望む世界を、ひとつひとつ小さなアクションが、ほんのすこしずつ実現するんだという確信が湧いてきました。



その後、株価は急速に値を戻し、暖かくなるにつれ、先の真っ暗な悪夢の週に負担したリスクは、その見返りを受け取ることになります。正直に言って、まったく想定とは異なりました。10年かけて取り返すつもりが、半年もかからなかった。もちろん日本中の現場の頑張りは、それは奇跡と言わざるを得ない力強いものであったことは間違いなく、しかし自分の見方を付け加えるなら、世界中で繰り広げられる金融緩和の威力を、いい意味でも悪い意味でも、感じざるを得ませんでした。僕らの戦いよりも「偽りの夜明け」がもたらすリスクの方が、ずっと大きかった。


ただこのとき、僕は初めて、俺達緩和を目撃したのです。もちろん参加もした。それは生き残った僕らの必然で、未来に産み落とした、大きな卵だったと今も信じています。力を貸していただいた皆様、ありがとうございました。

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