低金利政策の継続がもたらすもの

FRBは少なくとも2014年まで「異例の低金利」を継続するそうだ。会合から持ち出された妙なチャート*1は、政策当局者が自身の未来について予測する、金融政策が内包する奇妙を浮き彫りにした味わい深いシロモノだったが、率直に言えば個人的には、資金需給をナメるなボケとしか思えなかった。どれだけの人々が再来年に金を借りたいか、どう考えても、知っているのは神だけだ。


支出 = 消費 + 投資


さて、あらゆる支出は消費か投資のどちらかだと、当ブログでは常に考えるわけだが、投資と言っても色々あるだろと、その点にもうすこしだけ深入りすることで、見えてくるものがあると考えてみる。そう、今日の道具はこんな感じだ。いくつかの代表選手に、えいと分けよう。


支出 = 消費 + 人への投資 + 株式投資 + 債券投資 + 不動産投資 + コモディティ投資


いやもちろん、例えば設備投資にも出番をやろうぜとか、自宅を不動産投資と呼ぶなとか、あるいは国内外を区別しろとか、それぞれに思い入れる投資の姿が異なるのは自然で、しかしそんなふうに感じられたなら、是非拡張した道具の姿を、お知らせいただけますと幸いです。いつだってプロレスしようぜ。

フィリップス曲線

促された支出 = 消費 + 人への投資 + 株式投資 + 債券投資 + 不動産投資 + コモディティ投資


金利政策によって、安く借りられることによって促される支出が、消費に向かえば物価を押し上げ、人への投資に向かえば失業率を引き下げる。そんなふうに考えれば、物価と失業率とを平面上にプロットしたくなるフィリップスの気持ちも、理解できなくもない。とはいえ右辺第三項以降へのアクセスは、この30年間で、以前に比べて急速に身近になった。金融の発展がもたらした流動性は、そして撤退すら容易にした。フィリップス曲線をモダンに書き換えるなら、21世紀には、どうしたって少なくとも6次元空間を考えざるを得ないだろう。物価が大好きな連中が夢想するほどには、もはや世界は簡単じゃないぜ。

バブル

促された支出 = 消費 + 人への投資 + 株式投資 + 債券投資 + 不動産投資 + コモディティ投資


物価上昇なき資産価格の高騰は、バブルの右肩を駆け上がる中で日銀を悩ませたが、雇用なき景気回復は、金融危機後のFRBを悩ませている。今日の道具から見れば、どちらも理屈は極端にシンプルで、誰が金を借りるかを、貸し手は選ぶことができず、そして借りた投機屋は、それらを好きなリスク資産に突っ込んだ。それだけの話だ。現在は中国が、必死に不動産投資への支出を制御しようとしているが、残念ながら、部分的に計画経済しようなんて話の虫を、スピリットなアニマルが食い散らかさない理由は、どこにも存在しない。

失われた20年

促された支出 = 消費 + 人への投資 + 株式投資 + 債券投資 + 不動産投資 + コモディティ投資


シャブ漬けの治療にシャブを打つような真似を続けると、当然のことながら、打った本人も意図しないような新たな血流が生まれてしまう。それまでバブっていたリスク資産から撤退して、レバレッジを縮小しバランスシートを整理する連中の隣で、脈々と流れて行くその先に国債があった事実は、これも我々が世界に先んじてきた。長期金利は、既にトンでもない低水準だ。最近では例えば、米国債にもドイツ国債にも同じ流れが見え始めたが、財政に苦しむ欧州の他の連中が、喉から手が出るほど欲しいシャブまでもが、そうして隣に流れて行く。ゆるやかに。とめどなく。

マネー不信

促された支出 = 消費 + 人への投資 + 株式投資 + 債券投資 + 不動産投資 + コモディティ投資


シャブは湧いて出てくるわけじゃない。打ち出の小槌は存在しない。その源泉に不安を感じる者が、あるいはそのことを予見する者が、はたまたその予見が増えることに賭ける投機屋が、そうして中央銀行とマネーに対する不信を先取りする形で、コモディティ化されたコモディティ投資、例えば商品先物を買う取引を粛々と続けるのは、自然なことだと感じないだろうか。最近ではコモディティすら流動性は高まる一方で、要するに撤退は難しくない。遅れてきた情報弱者に、ホイと手渡してやれば済む簡単なお仕事。サブプライム不動産ローンに絡んで、僕らはそんなやりとりを、つい最近も見たばかりじゃないか。


当局の当人たちは、悲観するわけにいかないだろうから、僕が代わりに述べておこう。FRBの低金利政策は、そのことによって促された支出が、どこに向かうのかをあらかじめ知ることができれば、誰だって儲けることができる。もっと言えば借りる時点で、既に貸し手からお年玉を貰っている。そんなバラ撒き大会は、少なくともこれまでは、ロクでもない波風ばかり立ててきた。今日の道具を眺めるほど、今後だって同じだろう。だって右辺は、どこまでも広がる一方だ。もっともっと、広げてやるさ。