誤解が貯める歪み

金融機関は国債を買い、政府に固定金利で金を貸している。このことに目くじらを立てる方も多いようだ*1が、その主な理由は、金融機関の負債としての金融商品も、固定金利による資金調達だからだ。保険であれ、年金であれ、定期預金であれ、資産と負債とで同じリスクを逆向きに並べることで、相殺する理屈である。その向こうにある財政支出が、資産なのか費用なのかは大きな問題だが、ともあれ結果として、政府は長期で借り入れることが可能になっている。

      政 府          金 融 機 関   
--------+-------- --------+--------
        |                 |        
財政支出|長期国債 長期国債|金融商品
        |                 |        


その金額はご存知のように膨らみ続けているし、また、あまり知られていないことだが、そのデュレーションも長くなっている。要するに、金利を固定する期間は延びている。貸し出す金融機関の側が、長期化を望んでいるのだ。理由は簡単で、これまで上記のようなリスクを相殺する理屈を実行に移しておらず、負債側の金融商品の方が期間が長かったのだが、最近になって一所懸命「修正」しているのだ。


「大丈夫?」と僕は不安に感じている。先の理屈をもうすこし巨視的に見たとき、その構造は脆弱にも思えたからだ。なるべくシンプルで具体的に表現したいが、僕らは金融商品を、保険であれ、年金であれ、定期預金であれ、将来の生活を担保するために購入する。一方で、負債としての将来の生活にかかる支出は、「固定金利」的に評価してよいとは思われなかった。

      政 府          金 融 機 関          家 計      
--------+-------- --------+-------- --------+--------
        |                 |                 |        
財政支出|長期国債 長期国債|金融商品 金融商品|将来生活
        |                 |                 |        


僕が70歳になったとき、払う家賃や、夕食の焼き魚とビールの値段や、病院にかかる費用を、現時点で評価することは簡単ではない。明日のことはわからない。現在の購買力を、将来に向けて最大限に生かそうと思えば、あるいはリスクを最小化しようとすれば、様々な形で、そのための最善手を試みたくなってくる。どう考えたって、固定金利による運用が常にベストという結論には至らなそうだ。


具体的なアクションとしては、現在加入している金融商品を、もちろんペナルティを確認しながら必要に応じて解約し、将来の生活を担保するため、よりよい手段を探す。それは株式かもしれない。住宅かもしれない。ゴールドかもしれない。海外へ高飛びかもしれない。単に他に選択肢がなかったから、先輩も入っていたから、営業が熱心だったから、なんとなく僕らは今の金融商品を利用している。それは金融機関がリスクの相殺を意識してこなかったのと同じように、僕らは金融商品の選択を意識してこなかっただけだ。そういう素朴な経緯が生んだ構造の、片翼だけを熱心に修正しても、すくなくとも経験上はロクなことがなかった。誤解を恐れず、乱暴に構造を表現しようと試みるなら、おそらく金融商品デュレーションは、僕らが考えているよりも短いのだと思う。なぜなら僕らの将来の生活は、長期金利には思ったほど感応しない。


財務省が渡りに船と、その調達を長期化している財政支出は、こうして元を辿れば、僕らが将来の生活を担保するアクションである。使われる先だって当然、僕らの将来に繋がらなくちゃいけない。間に挟まれている金利による調節は、資源の配分を助けるものの、物事の本質を左右しない。最もマクロなALMの姿は、実にシンプルだ。