最後の打ち出の小槌

中央銀行は最後の貸し手たれ」とバジョットは言ったそうだが、財政危機であれ金融危機であれ、それがリスク負担のことを指すのだとすれば、どうしても「含み益経営」を想い起こさざるを得ない。資産も負債もスッ呆けた評価をする会計は、張子の虎の逆で、次から次へとビックリドッキリ財源を奥からチラつかせた、バブル時の金融機関のそれのことだ。最近では、既に弾は尽きた感もあるようだが、埋蔵金財政*1も似た類だ。


要するに、日銀にはおそらく、含み益やら埋蔵金が眠っている。危機の底値で引き受けたリスク資産やら、今後誰も返済を要求してこない負債やら、そういうものが沢山ある。だから国債を引き受けろという短絡に、全く賛成できるものではない。が、しかし、より見通しのよい評価を推し進めて、余った「純資産」が見つかるのなら、それを国庫に返すアクションは行われて然るべきではないか。紙幣の裏付けは、不足も、余分も、どちらも素敵とは思えない。

*1:結局のところ埋蔵金「政局」だった