原発ギャンブル

不謹慎は承知の上だが、我々はでっかいギャンブルに負けた。原子力発電所は、主に地震津波を原因に、事故を起こすことになった。これが大きな負けなのかどうか、よくわからない。「高効率に」電気をつくり出しているのだから、長い目で見れば勝っているのかどうか、よくわからない。ただ、地球を見渡してみれば、似たような負けが起きたのは、初めてじゃない。また未来が神にしか見えない以上、完璧な備えなど存在しない。そんな中で、我々は原子力で発電することを選択している。このことは、すぐには変わらないだろう。


不謹慎は承知の上だが、ある原発が、来年までに大きな事故を、A)起こす、B)起こさない、という賭けの胴元になりたいと思った。どこか別の世界の、または25世紀の話だと思って、大きな心で聞いていただきたい。もちろん電力会社は、あらかじめAに賭けておく。原発を認可する条件にしてもよいと思う。事故を起こして損害を撒き散らしたとき、その分を賠償できるくらいの金額を賭ける。仮に100円だとしよう。放射能が漏れてしまえば、賭けに勝った100円は、迷惑をかけた方々に配ることになる。


このことは、僕にはチャンスに見える。頑張って余裕資金を集めて、Bに10円を賭ける。それでもBのオッズは(100+10)/10=11倍である。もちろん判断のためには、その原発の設計なり耐震構造なりの、詳細を知る必要がある。僕は「勝てる見込み」の中から、詳細な情報公開のロビイングやら、「専門家」の百家争鳴を促すことに、お布施する必要があるかもしれない。多くのギャンブラーにとって、やはりチャンスに見えるはずで、同じようにBに賭けるマネーは、次々と流れ込んでくるだろう。オッズは変化し、徐々に「悩ましい」水準へと収束してくる。賭けの参加者の総意だ。


このとき実現するオッズは、事故を起こす確率*1を、そのまま表現していない。おそらくAのオッズは少し低めだし、Bのオッズは少し高めだ。なぜか。電力会社は、この賭けで多少の損をしようとも、原子力発電ビジネス全体の効率が高まることを望む。事故のリスクの一部を、この賭けを通じて、僕を含めたリスクテイカーに移転することで、例えば電力の融通やら配分といった別の本業に、より大きなリソースを投下することができる。一方で、僕を含めたリスクテイカーは、事故のリスクを負担している。その見返りとして、すこしだけ高めになっているBのオッズを、長い目で見れば受け取ることができる。そうでなければ、そもそも賭けない。これがリスクプレミアムである。通常の電力ビジネスにかかるリスクは、もちろん電力会社の株主が負担している。その中から事故のリスクについて切り離し、僕を含めたリスクテイカーに移転するのだ。コース料理でも、デザートは菓子職人がつくる。そう、分業だ。


似たような仕組みが、既に存在していることは、知っているつもりだ。ただ、よく見えない。そして参加しにくい。311は、僕らを全体として、大きなチャレンジに直面させている。一方で、個々の我々が持つ力や、得意な分野は異なっている。分業したい。そんなふうに強く思っている。こんなギャンブルの胴元になりたい。つくり出そう*2ぜ。この指とまれ