資金調達市場

株式市場が資金調達の市場であること*1は、教科書に書かれているにもかかわらず、実際に数多く実行されているにもかかわらず、ほとんどあまり理解されていない金融の不思議のひとつだ。いま一度強調しておこう。チャレンジの志はあるものの、そのリスクを負担する資金が不足しているとき、「頑張ってみろ」と懐の深いスポンサーを募る場所が株式市場である。もちろん、その恩を(意図的に)忘れることなど不可能であるような法整備には、多くの専門家が力を注いでいる。


我々はいま、新しいチャレンジに立ち向かわざるを得なくなった。主観だが、自分はこのことにポジティブだ。以下に理由を列挙したい。


まず我々は、災害には滅法強い。それは普段から地震には慣れているとか、そういう小さな話じゃない。協力することの強さを、我々自身が何を望むのかを、よく知っているからだ。よりよいシステムを模索し、この事故をチャンスに変える力を持っている我々は、未来には必ず、今よりも大きな分業を生み出す。スポンサーが割り引いて見積もるところの、長く将来に渡る利益に対して、弱気になる理由はたったひとつもない。また、目標は明確だ。新しい生産と暮らしの基盤をつくり上げるために、目の前にある課題は物理的なものばかりだが、そんなものは技術と協力で取り除くことができる。長く将来に渡る利益に対して、スポンサーがより深く割り引く理由はたったひとつもない。


具体的なチャレンジのアクションを起こすには、もちろん資金調達が必要になる。融資は既に動いているが、株式市場での取引も始まる。チャレンジの志にとっても、懐を出すスポンサーにとっても、同時にチャンスだと断定する。資金調達市場では、いつでもそうして、互いにチャンスを判断するとき取引が行われるわけだが、その構造そのものは、事故が起きようとも微塵も変化しない。将来を探るチャンスが増えただけだ。


自分は、そうしたチャレンジする志を探し、できる限りの資金調達に応じ、リスクを負担する。誰に金を出していいかわからない部分は、とりあえず全部買う。蛇足だが、先物やオプションは、資金こそ提供しないがリスクは負担する。株価が上昇することは、すべてのチャレンジが有利に資金を調達できることを意味する。寄付も悪くないが、リスク負担も悪くない。一言でいえば、要するに、明日は買いだ。