日銀券の受け取りを拒否できる世界

日本銀行が発行するお札は、法貨として強制通用力が付与されており、公私一切の取引において無制限に受け取ってもらえます(日本銀行法第46条)。

http://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/money/05100003.htm/


こんなもの要らない。そもそも我々の日常の決済のためには、銀行振込でもクレジットカードでも、スイカでもパスモでも、ツケでも出世払いでも、別の手段は既にいくらでも存在している。紙幣だけ特別に、こんなお墨付きを得ているからこそ、「独立性」みたいな妙な概念が必要になってしまう。いつでも受け取りを強制できるような負債を発行できるんだから、妙なもの(一般には国債のことだが)買わされちゃ駄目だよと、更なる保護が必要になってしまう。こんなもの要らない。こんなものなくたって、我々の日常は全く困らない。具体的に考えてみよう。コンビニでお昼のお弁当を買って、代金を支払うときだ。

ナナコなら500円、日銀券なら1000円になります♪


コンビニの立場になってみれば、日銀券が信用できないとき、その分だけ多めに要求することは仕方ない。一方で、日銀が放漫な財政に協力することを余儀なくされるからといって、JR東日本セブンイレブンまで、財政への協力を強制されるとは限らないだろう。国債の価格が下がると思うとき、あらかじめアカンベーと売っておくことで、日銀券に比べて、その価値を担保できているかもしれない。ちくしょう、どうして財布の中の千円札が500円なんだと、くやしく思うかもしれない。そうだ、銀行に預け入れたり、電子マネーにチャージしてしまえばいいんだ。

お客様、本日ですと1000日銀券は500三菱円でのお預入れになりますが、よろしいですか?


彼らを責めないでやってほしい。銀行だって電子マネー業者だって、自分の資産は自分で守る必要がある。信用を部分的に失った日銀券は、こうして価値を失う。交換レートは、日々膨れ上がっていくだろう。日銀券安だ。が、このとき我々の生活は、思ったよりも苦しくない。商品先物を買うことで、自衛する必要もない。単に紙幣を使わなければよいだけだが、どっこい銀行預金や電子マネーは生きているからだ。


我々が日銀券を拒否できるとき、日銀は、より強く、放漫な財政への協力を拒否する必要に迫られることになる。どこに書かれていようがいまいが、「独立性」を発揮できなければ、資金調達が苦しくなるからだ。もっと言えば、銀行だろうが電子マネー業者だろうが、(当たり前なので)特に明示されていないが、「独立性」を発揮できなければ、資金調達は苦しくなってしまう。我々は日常的に競争に晒されているが、日銀だって競争に晒されることで、より磨かれ、前進するに違いない。対称なシステムは美しく、そして何の矛盾もない。