25世紀の貨幣数量方程式

馬鹿馬鹿しい*1ので、この「貨幣数量方程式」について触れるべきことなど、たったひとつもないと思っていたのだが、しかし、表題のように考えてみたとき、いくつかの鱗が、ポロポロと腑に落ちた。ちょっと聞いて下さい。


MV = PY


通り一遍の説明をするなら、Mはマネーの量、Vは使われる頻度、Pは物価、Yは産出だが、こいつは実際のところ、マクロに見るほど、何が何を意味しているのか、さっぱりわからない。そこで25世紀に時を飛ばそう。


どうにも背中がかゆいこの季節に、裏山でとれた竹を使って孫の手をこしらえようと、しかし勢い余って、つい100個もつくってしまった。せっかくだから皆さんに使っていただきたいと思うとき、ヤフオクで売るという手段もあるかもしれない。そのお金で、かゆみ止めクリームを買うことで、さらに冬を快適に暮らすことができる。孫の手の売り上げが入金されたら、こんどはヤフオクで買ったクリーム代金を出金するわけだが、25世紀には、そんな中間のゴタゴタは最小化されているに違いない。決済サービス間の競争は、とても厳しいからだ。きっと孫の手を2つで、かゆみ止めクリームを直接買うイメージになっている。そう、物々交換の世界に近づくだろう。


物々交換の世界では、あらゆる資産がマネーとして機能する。25世紀のヤフオクは、任意の資産が交換の対象として与えられた瞬間に、それを欲するひとを探し出す。それぞれの対価は互いに相殺され、一対一でなく多対多の交換が、超高速で実現され続けているに違いない。なんて素敵なんだろう。さて、そのとき貨幣数量方程式は、「資産」数量方程式になる。えい。


AV = PY


もちろんAは、"Asset"の気持ちだ。皆が自分の資産のどれかと、相手の資産のどれかを交換する。孫の手を2つとかゆみ止めクリームを交換する。その交換が頻繁なほど、定義どおり産出が多いことになるわけだが、そのときPは単に物差しである。GDPを孫の手の個数で測るのか、かゆみ止めクリームの量で測るのか、その単位を決めるに過ぎない。円?もちろん存在してるさ。きっと便利な物差しのひとつとして。


さて、マクロな経済政策として、Aは増やせるだろうか。考えてみたのだが、家計の資産を簡単に増やす手段は、あまり見つからなかった。敢えて言えば、住宅ローンを組ませることだろうが、それが家以外の交換を増やすともあまり思えない。一方で、企業の資産を増やすのは、それほど難しくない。銀行が貸してやればよいのだ。しかしこれも、資産同士の交換を促すとは思えなかった。だって今だって起きている。制度融資がゼロ金利でゴリゴリ押せば、とりあえず実績づくりで借りるものの、利益が見出せなきゃ投資なんてしない。そう、ブタ積みだ。でなければ、とりあえず金融商品に突っ込んでおく。


資産数量方程式は、21世紀に我々の住む社会も、比較的よく記述しているように自分には思われた。マネーは資産の一部に過ぎない。貸借は、消費や投資の需要によって引き起こされる。単に貸しても、ブタ積まれるか横流しだ。一方で、誰かが欲してくれるとき、つくった孫の手は資産になる。かゆいところに手が届くなら、嬉しいからだ。