金融政策の国際不均衡

ゼロ金利制約に当たっていることは、さほど悪くない状況であるようにも思った。雪降る高速道路を運転中にだ。もちろん時間の値段が安いことは、我々が機会を上手に活かせていない可能性を示唆しているわけで、そのことが素敵だと主張したいわけではない。端的に言えば、ゼロ金利制約によって、金利を恣意的に操作することは難しい状況に追い込まれるが、要するにそれ以上は金利を下げられないが、そのことは大きく見たときに、そうでない場合と比べて、当該通貨を利用している地域に利益をもたらすのではないか。

「積極」と「消極」

簡単のために、世界は二つの国で構成されていて、かつモダンな金融取引も流動的な状況を想定しよう。それぞれに独自の通貨を用いて経済活動が行われており、従って、世界にはふたつ金利が存在している。で、片方は積極的な金融政策によって、金利を無理に引き下げている。もう片方は消極的な金融政策を採用し、金利は需給に任せている。このとき世界の全体は、どのように眺められるだろうか。


とてもベーシックなことだが、「積極」通貨での貸借では、その金融政策が積極的でないときに比べて、貸し手は損で、借り手は得だ。なぜなら金利は低い。貸しても利息はちょっとしか返ってこないし、借りても利息はちょっとしか返さなくていい。一方で「消極」通貨では、貸し手と借り手の間に、特にそのような移転は起きていない。積極通貨の貸し手は誰だろうか。もちろん、それが使われる地域で働き、稼ぎ出した購買力を繰り延べたいと思っている預金者だ。彼らは、すこしだけ損をしてしまう。気の毒だが、「経済が元気なことの方が大切」なので、仕方がない。一方で、積極通貨の借り手は誰だろうか。もちろん誰でも、単に借りた奴だ。モダンな金融取引は両国の間を跨いでもよく行われており、実質的な借り手を選ぶことは不可能な状況にある。世界中のどこにいても、その得を、誰もが自分の意思で受け取ることができる。


なんだかとてもシンプルだ。要するに、積極通貨の預金者が損をして、同額分だけ世界中の借り手が得をする。積極的な金融政策をしない場合に比べて、主に積極国に住む、積極通貨を使う人々の購買力は、全体として減っている。積極的な金融政策をしない場合に比べて、世界中に住む、積極通貨を借り入れる人々には、その分だけ弾が多めに装填される。そんな移転が起きている。

「積極」と「転向」

もうすこし考えてみよう。さっきと同じような世界だが、両国とも積極的な金融政策によって、同じように金利を無理に引き下げている。が、片方はその効果に疑問を持ちはじめ、消極的な金融政策への転向を企んでいる場合だ。このとき転向することによって、何が起きるだろうか。もちろん転向する前には「積極」通貨でも、また「転向」通貨でも同様に、貸し手から借り手への移転が起きている。より細かく言えば、積極通貨の預金者は損をして、世界中の借り手は得をしている。また同時に、転向通貨の預金者も損をして、世界中の借り手が得をしている。つまり全体として見れば、単にお中元を交換している。


金融政策を転向すれば、金利を無理に引き下げることを止めて需給に任せれば、もちろん金利は上昇し、また転向通貨の価値は高まるだろう。最もシンプルには「金利が上がるなら預金する」ひとが現れるだろうし、もうちょっと小難しい説明*1も可能だが、ともあれこの点に異論を挟むひとは少なそうだ。さて、そうすると転向国で輸出産業に従事していた連中は、これまでと比べて、すこしだけ困ってしまうことになる。積極国の消費者には値段が高くなってしまう分だけ、売りにくいからだ。とはいえしかし、その転向を企んだ時点で、未来に向かって積極国とは情報の格差が生じているわけで、「ショック」を緩和することは可能かもしれない。ちょっとだけ出し抜けるかもしれない。例えばこうだ。転向政府は「内緒だけど、積極は止める予定だからね」「困るかもしれないけど、できる対処は自分でやってね」と輸出屋に伝えて*2おく。さっと事前に為替を予約するくらいのことは、転向を実践するに際して、積極国の連中の一部をカモるくらいのことは、できるかもしれない。また全体として見たときには、もちろん先の例のように、積極国の預金者から移転を受けることができるようになる。そう考えれば、転向する選択肢は、そんなに悪くない感じだ。

気がついたら転向していた

さて最後の例だが、とつぜんリアルな話で恐縮だが、我が国はいつからか、これ以上は金利を引き下げられない状況に陥ってしまった。ゼロ*3だ。すこしさびしい気持ちにもなるが、事実なので仕方ない。これは一般的に言えばバーゲン価格なのだろうが、しかしその割に最近は、ちょっと前と比べて、そのことにお得感があるような言い方は聞かなくもなってしまった。「借りたもの勝ち」だから資金需要が旺盛とはお世辞にも言えないようだし、「ファンディング通貨」と呼称されることも減った。実はいま、仮に金利を需給に任せたとしても、その水準は大して変わらないのではないか。つまりゼロ金利制約のせいで、大して「積極」が実行できていないのではないか。我が国は、かつて積極だった状態から、特に自分達で意図したわけでもなく、なんとなく不可避的に、転向に遷移してしまったとは言えないだろうか。


だとすればしかし、世界を遠くから鳥瞰したときに、そのことは悪くない側面も含んでいるようには思われないだろうか。どんなふうに足元が滑ったのかわからないが、ゼロ金利というガードレールにぶつかって以降、我々は意志とは無関係に、その塀に沿って進むしか選択肢がなくなってしまった。積極が実行できず、結果として海の向こうの積極野郎共とは、違う方向に進み始めた。その更に先の両者に、それぞれどんな障害が待ち受けているのか、あまり明らかとは言えなそうだが、しかし少なくとも、消極の素敵が起きている可能性はあるかもしれないと、暗い空に踏まれた氷が飛び散る音を聴きながら思った。昨日の昼飯は、旨くて山盛りで高くなかった。

*1:id:equilibrista:20100909:p1

*2:実際には内緒なんて無理だろうが、スタート合図に早く反応できるかもしれない

*3:0.1%じゃないかという突っ込みもあろうが、どうせ似たようなものだ